肺炎のため6日に87歳で亡くなった関西の名物パーソナリティー、中村鋭一さんの通夜が9日、大阪府吹田市の「公益社 千里会館」で行われ、盟友のキダ・タロー氏(86)が弔辞を読んだ。通夜を終え、取材に応じ“中村鋭一伝説”を語った。

 「ええ声でね。灰田勝彦みたいな。僕が作った阪神タイガース音頭を、ええ歌や言うてくれた」

 キダ氏が作曲し、中村さんが歌った「タイガース音頭」について振り返り、中村さんを「おもしろい男。ゴルフ一緒に行っても、暫定球で打って、それでええ言うて続けたり、一緒に回ってるこっちが芝生に転げ回って笑うぐらいやった」となつかしそうに話した。

 タイガース戦を一緒に観戦に行き、序盤で阪神が劣勢になると「近くのおっさんが中村さんとこ来てね、また明日や! 言うて。まだ2回とか3回やで。阪神負けたら、ゴミ箱けっ飛ばして、不機嫌になってた」そうだ。

 ただし、キダ氏や周囲に八つ当たりすることはなく、「かといって、勝ったからっておごってくれたりとかは一切ない。ケチやから」とも。キダ氏は「そういうのも含めて、愛らしい。すべてがかわいらしい人やった」と語った。

 中村さんは滋賀県出身。同志社大を卒業後、51年に朝日放送のアナウンサー第1期生として入社。不偏不党の時代に、猛虎愛を前面に押し出した中継をしたが、キダ氏は「博識、見識、ニュース感覚、すべてにたけていた」。アナウンサーとしての技量にもほれ「どんな相手にも相手に6割しゃべらせて、きっちりといい気持ちにしてしゃべらせる。インタビュアーとしての腕は最高やった」と高く評価していた。

 77年に朝日放送を退社し、政界に転身した中村さんの才能を惜しみ「僕は今でも反対や」と話す。

 キダ氏は中村さんを「畏友(いゆう)」と表現し、50年来の親交を重ねてきた。「ずっと、キダさんより先に死なれへん。キダさんの弔辞を読んで、(滋賀を中心に伝わる)江州音頭踊るんやって言ってたのに」と話していた。