ショーケンこと萩原健一(67)の歌手活動50周年記念のライブDVD「PREMIUM LIVE LAST DANCE 2017」が20日に発売される。そのプレミアム上映会&ミニライブが、13日午後7時から東京・TOHOシネマズ六本木ヒルズで開かれる。萩原本人が登場して、スペシャルトークとミニライブを行う。

 萩原は67年にグループサウンズのザ・テンプターズのボーカルとしてデビューした。

 「僕はクライングベガーズっていうバンドにいた。その頃、ダンスパーティーをやるのが流行っていた。そこで僕は、荷物を預かるクロークをやってたんです。で、インストルメンタルばっかりやっていたテンプターズにブーイングが起きていた。時代はベンチャーズとかインストルメンタルから、ボーカル…リバプールであり、ロンドンの流れに変わって来てたんですけど」

 ひょんな事から、萩原に出番が巡ってきた。

 「テンプターズの女の子のメンバーがおなかが痛いとかで、僕が代わりにステージに上げられた。テンプターズに『何か歌えないの?』って聞いたら、1~2曲だったらできるって。『彼女はマネー』とか『悲しき願い』とか。キーが違うけどいいかってね」

 飛び入りがテンプターズのきっかけだった。

 「僕はね、もう学校もいい風に進むのが決まっていたの。ところがテンプターズの人たちから、どうしてもと。新しく人を入れてバンドを続けていくか、解散するか瀬戸際だった。で、学校に行きながらいきながらだったらできるよと。で、インストルメンタルをやめてくれないか、できればブルースバンド。当時、ヤードバーズとかストーンズ、アニマルズが流行ってたんですよ。それを、その曲を入れてくれって言って、猛練習したんですよ。そしたら、いろいろなバンドがライブをやっていた中川三郎ディスコティックっていうところで、人気が出た。そこにスカウトマンがいっぱい来た。それで、プロにならないかと」

 大きなチャンスだったが、萩原はすぐには飛びつかなかった。

 「僕はね、やめたほうがいいと思ったわけ。というのは、スパイダースをはじめ先輩たちの衣装を見てるとね、ユニホームを着てるんだよね。ミリタリールックのね。で、条件を出したんですよ、お金よりも先に。ユニホームを着るのは、ちょっと…と。だけど、バンドのメンバーは青椒肉絲(チンジャオロース)を食わせてもらって、で、口説かれちゃったみたい(笑い)」

 グループサウンズの頂点に立ったザ・スパイダースのデビューは、青椒肉絲が決め手だった(笑い)。

 ▼プレミアム上映会&ミニライブのチケット購入は、ドリパス(https://www.dreampass.jp/events)から。