今から45年前にシングル「わかるかなぁ わかんねぇだろうぁ」が160万枚の大ヒットとなったレジェンド芸人、漫談家の松鶴家千とせ(82)がアイドル演歌歌手・恵中瞳(31)を、このほどプロデュースした。ポップスアイドルとして活動していた恵中に自身が作詞した演歌「逢って下さい」(作曲・岡島二郎)を与え、衣装もヒラヒラのミニドレスから振り袖に変身させた。音楽サイトから配信中で、現在はCD化も進められている。

70年代と変わらぬアフロヘアにあごひげサングラス姿の千とせは「インターネットテレビの番組『千とせと歩きたい千住』にゲストで来てくれたの。会った瞬間に『演歌も歌えるだろ』と思って、詞を書きました。いぇ~い」と、おなじみのピースサイン。16年にデビューしてポップスしか歌ったことがなかった恵中も「演歌は初めてでしたが、父が好きで子供の時から聞いていたので、すぐに世界に入れました」と ♪ネクタイ1本 残していった~ と男と女の情感をしっとりと歌い上げている。

千とせは53年に15歳で夫婦漫才コンビの松鶴家千代若・千代菊に入門して芸人デビュー。弟弟子にビートたけし、ビートきよしのツービートがいる。74年に童謡の「夕やけ 小やけ」のメロディーに乗せながら「俺が夕焼けだった頃 弟は小焼けだった 父さんは胸やけで 母さんは霜やけだった」とギャグを飛ばして「分かるかなぁ、分かんねぇだろうなぁ、いぇ~い」というネタが大ヒット。翌75年にシングル発売されて160万枚のミリオンヒットになった。

千とせは「デパートの屋上でイベントをやるとお客さんが押し寄せて、200人以上が並んでレコードが足りなくなった」と振り返る。CMも「日清焼そばUFO」「サントリーホワイト」に起用された。そして日本全国の民放各局が同時放送した、87~88年の年越し特番「ゆく年くる年」の「服部セイコー」のCMに登場した。

今年で芸歴67周年。「新型コロナウイルスで3月から6月の営業が飛んだ。長くやっているけど。こんなことは初めてだよ」と言う。

現在は月に1回、東京・浅草の木馬亭で、芸人20組を集めてライブ「うたとお笑い」を主催する。「自分の出るところを作るため」に始めたというライブも、次回8月23日で66回を数える。「木馬亭は、僕の修業の場だったから。元々は上の階の木馬館にいて、安来節のお姉さんの合間に出ていたの」と振り返る。

生涯現役? の声には「いや、あと2年できればいいね」と笑った。

◆松鶴家千とせ(しょかくや・ちとせ)1938年(昭13)1月9日、満州生まれ。第2次世界大戦後、日本に引き揚げ福島県原町市(現・南相馬市)で育つ。53年にジャズシンガーを目指し上京、松鶴家千代若・千代菊に入門して漫才、漫談で活躍。。67年千とせ流家元三代目・松鶴家千とせ襲名。75年に発売したシングル「わかるかなぁ わかんねぇだろうなぁ(夕やけ小やけ)」が大ブームとなり160万枚の大ヒット。76年映画「トラック野郎・望郷一番星」。全国さつまいもの会会長。