10日に肺炎で亡くなった俳優渡哲也(わたり・てつや)さん(本名・渡瀬道彦=わたせ・みちひこ、享年78)の代表作の1つ「西部警察」に“幻の新作”があったことが15日、分かった。複数の脚本が用意され、監督も決まっていたが、15年に急性心筋梗塞で倒れた渡さんは、翌16年に実弟の渡瀬恒彦さんに死を覚悟する言葉を伝えるなど体調に不安があり、出演を固辞しお蔵入りになったという。

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渡さんの死が報じられてから一夜明けた15日、複数の関係者が「西部警察」の新作の企画があったことを明かした。「西部警察」は1979年(昭54)からテレビ朝日系で5年間に3シリーズ、236話放送された。03年には特別ドラマが制作され、連ドラ(全10話)の制作も発表されたが、ロケで人身事故が発生し、石原プロ社長だった渡さんは制作中止を決断。翌04年に「-SPECIAL」が放送された。

11年に渡さんは社長を退任し、一俳優に戻ってドラマへの出演を重ねていた。一方、石原プロは翌12年に「西部警察」などをDVD化し、16年元日からは配信も始めた。並行して、水面下で「西部警察」の新作の企画開発が進められていた。複数の映画やドラマを手掛けた脚本家により5、6本の脚本が完成。うち1本は女性都知事をめぐる事件を描き、16年に小池百合子氏が東京都知事に就任するのを予見したかのような内容だったという。

「西部警察」の新作である以上、大門軍団の大門圭介団長が主人公の企画だったが、渡さんは「俺は脇でいい」と譲らなかった。周囲が「渡さんじゃないとダメです」と言うと「ひろしで、いいよ。(主人公は)ひろしに合わせればいい」と、鳩村英次役の舘ひろしの主演を希望。懇意の映画監督と会談し、演出を依頼し内定するなど企画成立に向けて動いたが、あくまで主演を希望する周囲に「俺はやらない」と告げ、企画はそこでストップした。

その裏には、死を覚悟するほどの体調への不安があった。渡さんは15年6月に急性心筋梗塞で緊急入院。同11月に宝酒造「松竹梅」の新CMを撮影した際は「呼吸器疾患があり、血中酸素が足りなくなり、動いたり長いセリフを言うと息切れする。動くことが非常に苦痛」と明かした。16年には関係者を通じて恒彦さんに「体がしんどい。亡くなった時は一切、人には言わないで葬式をやってくれ」と死を覚悟し“遺言”を託した。恒彦さんも「兄貴らしいな」と返したという。

お蔵入りした脚本は、いずこかに眠る。映画と同規模の制作費を投じ、テレビを超えた映像作りを目指し激しい爆破、アクションを前面に押し出した「西部警察」の新作を今、新たに作るのは撮影場所の確保、制作費の調達含め、難しいと複数の関係者が口をそろえる。ただ「何とか早く元気になって、再び皆さんとお会いする日が来ることを願っております」と再起を誓うも、かなわなかった渡さんの遺志の宿った脚本は日が当たる時を待っている。

◆「西部警察」の主な出演者 渡さん演じる西部署捜査課部長刑事・大門を支える大門軍団の面々にも、個性的な俳優陣がそろった。舘ひろし(70)は、ハーレーに乗る武闘派・巽総太郎刑事を1話から演じたが、30話で巽が殉職すると、109話からは特機隊隊長を兼任する鳩村英次刑事を最終話までと、異例の一人二役を演じた。寺尾聰は、サングラスがトレードマークの松田猛刑事を演じた。石原裕次郎さんは、大門の上司で捜査課長の木暮謙三を演じた。大動脈瘤(りゅう)治療のため89話から出演しなかったが124話で復帰した。

<「西部警察」データ>

◆連ドラの放送期間 1979年(昭54)10月14日~84年10月22日

◆シリーズ制作話数 236話

◆出演俳優 1万2000人

◆ロケ地 4500カ所

◆封鎖した道路 4万500カ所

◆飛ばしたヘリコプター 600機

◆使用された火薬の量 4・8トン

◆使用されたガソリンの量 1万2000リットル

◆壊した車両の台数 約4680台(1話平均20台)

◆壊した家屋や建物 320軒

◆撮影中に関係各所に提出した始末書の枚数 45枚

◆平均視聴率 14・5%(関東地区)

◆最高視聴率 25・2%