近藤真彦(56)ジャニーズ事務所退所のニュースに思い出す光景がある。

初主演映画「スニーカーぶる~す」は81年2月に公開された。芸能記者になって1年足らず。田原俊彦、野村義男を加えたたのきんトリオが顔をそろえた公開初日のイベントの驚きは今でも覚えている。

場所は閉館を4日後に控えた東京・有楽町の日劇。レビューや「ウエスタン・カーニバル」で知られた、当時の「エンタメの殿堂」だった。

実はこの2カ月前に内田裕也さんの主催で沢田研二や井上順らグループ・サウンズの元メンバー、さらにはロカビリーの山下敬二郎さんも参加して「ウエスタン・カーニバル」のフィナーレが4日間にわたってここで行われた。この実質的な閉幕イベントで内田さんの感激の表情や沢田の涙を目の当たりにしていたので、半世紀の歴史を誇る日劇の幕切れに10代半ばのたのきんトリオは正直、ちょっと軽すぎるのではないかと思っていた。

だが、映画の初日イベントの枠を超え、トリオ、ソロを織り交ぜて計36曲を歌う本格的なコンサートは、先のフィナーレとは違った意味で魅力があった。近藤と田原は「3年B組金八先生」のキャラをほうふつとさせながら対になり、競い合うようなパフォーマンスが印象的だった。ファンの嬌声(きょうせい)が何しろすごくて、具体的な記憶はおぼろげだが、立体的でダイナミックな演出はとにかく飽きさせなかった。

この半年前にレコードデビューして、人気も先行していた田原に対抗させるようにこの映画の主演に近藤を起用。主題歌も歌わせたジャニー喜多川さんの巧妙な仕掛けがこの込みいった演出に重なっているようにも思えた。会社に帰ってこの話をすると、音楽担当のベテラン記者に「ジャニーさんはひらめきの人。裏に思惑があるとは思えない。ただし、演出力を絶対に軽く見てはいけない」とたしなめられた。

近年ほど洗練されてはいなかったと思うが、ジャニーさんが生み出すエンタメの底力に最初に触れたのがこのイベントだった。

結果、たのきん映画は東宝の看板シリーズとなった。近藤のデビューシングルとなった同名主題歌はオリコン週間1位となり。ジャニーズ事務所史上初のミリオンセールスを記録した。

この数年前にフォーリーブスの解散や郷ひろみの移籍に見舞われたジャニーズ事務所にとって、現在の隆盛のきっかけとなったのがあの日劇イベントではなかったかと思っている。

以降の近藤の活躍は改めて書かないが、長年にわたり時々にヒット曲を生み出してきたことを考えると、あの頃から息長く応援してきたオールドファンや彼を支え続けたジャニーさんと多くのスタッフの存在を思わざるを得ない。

若いファンにはピンとこないかもしれないが、事務所の象徴的な存在であったことは間違いない。とすれば、公式サイトに発表された近藤の退所コメントはあまりにもあっさりし過ぎていて物足りない。もっとも親しかった東山紀之が「退所の仕方に大きな疑問が残っている」「(コメントは)すごく薄っぺらに感じる」とあえて苦言したのは、当時を知る者としてオールドファンやスタッフの思いを代弁したのだろう。

退所の原因が何であろうと、毀誉褒貶(きよほうへん)があっても、これまでの歩みは厚くて重い。活動自粛中で言葉を慎む必要を感じているのかもしれないが、いつか在所40年の思いを語ってほしい。【相原斎】