カトパンも、ミトちゃんも、この人がいたから存在するのかもしれない。アイドル女子アナの元祖、元フジテレビでフリーアナウンサー寺田理恵子(59)が、今月15日に60歳の誕生日を迎える。2代目ひょうきんアナウンサーとして、お笑い芸人たちの“セクハラ”に耐えた日々、52歳での仕事復帰、そしてこれからを、同い年の記者が聞いてみた。

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還暦間近でも、美貌は健在だ。フジテレビ入社1年後の85年(昭60)4月からバラエティー「オレたちひょうきん族」のコーナー「ひょうきんベストテン」では、島田紳助さんと組んで司会を1年半担当。「私は落ちこぼれで仕事がなかったんです。先輩の山村美智子アナウンサーが新婚旅行に行く時、代打を務めて、退社した時に後釜になりました」と当時を回想した。

セクハラという観念がまだ浸透していない時代。裸のお笑い芸人に抱きつかれ、腰を振られて泣きだした。西川のりお、片岡鶴太郎、島崎敏郎らにイジリたおされたことも、今は笑って話せる。「ずいぶん泣かされました。今じゃ放送できませんね(笑い)。当時は、どう対応したらいいのか、分かりませんでした」。

男に囲まれたアイドルアナ。人気は沸騰し、86年に「ときめき Lonely Night」で歌手デビュー。だが、てんぐにはならなかった。「『ひょうきん』収録の夜は『プロ野球ニュース』生放送。先輩に『お前はタレントじゃないんだ、勘違いするな』と厳しく指導していただきました。横沢彪プロデューサーだけは『なんかされたら蹴っ飛ばしちゃえ』って言ってましたけど(笑い)」

84年入社時は契約社員。86年の男女雇用機会均等法施行が決まって、正社員になった。人気絶頂の89年7月に寿退社。「日刊スポーツには大きく扱っていただきました(笑い)」。その後も波瀾(はらん)万丈だ。フリーで仕事を続けたが、離婚。再婚し引退したが、その相手とは死別した。14年、現在所属する生島企画室会長の生島ヒロシ(70)から声を掛けられ「ゼロから」仕事復帰した。

「主人が亡くなって普通の仕事をしようとしたけど『あなたのような方は』と断られました。ラジオのアシスタントで復帰してからはドキドキでガクガク。そこから毎日、新聞の音読、発声練習、ヨガを始めました」。

迎える還暦は「楽しみでしょうがない。40歳からの20年間はいろいろなことを経験したから(笑い)。第2の人生、リスタートです」と笑顔を見せる。「朗読で、高齢者の居場所を作りたい。呼吸法から始めて、口を動かすことで表情筋を鍛えて。文字を読んで口に出すという脳トレ。“大人の部活”をつくりたいと思います」。【小谷野俊哉】

◆寺田理恵子(てらだ・りえこ) 1961年(昭36)7月15日、東京生まれ。聖心女子大を卒業し、84年フジテレビ入社。89年にドラマ演出家との結婚を機に退社しフリーになるも98年に離婚。00年に一般男性と再婚、引退したが、12年に死別。14年にTBSラジオ「生島ヒロシのサタデー・一直線」で仕事復帰。認定心理士資格取得。血液型A。