「天才ですよ」酒井政利さんが生前語っていたジャニー音楽プロデューサーの酒井政利さんが先日85歳で亡くなった。

「アイドル黄金時代」の活躍は改めて言うまでもないだろうが、一線を引いた後も芸能界のさまざまな節目でコメントをいただく機会があった。「大プロデューサー」でありながら、どんな些事(さじ)にも快く、物腰柔らかく電話取材に応じてくださった。

若手歌手を育てるだけでなく、私たちメディアやスポンサーとも気さくに、そしてしっかりと向き合うことで、アーティストのイメージアップに貢献した貴重な存在だったのだと思う。

90年代に入った頃、ジャニーズ事務所隆盛の背景についてうかがった話は今でもよく覚えている。

「ジャニー(喜多川)さんは、僕らが気付かない『魅力』をしっかり見抜くんですね。僕らからすれば、何かが足りないと思う青年に『売れる芽がある』と直感する。そこが天才なんですよ」

酒井さんが明かしたのは、唐十郎の「赤テント」や寺山修司の「天井桟敷」が一世を風靡(ふうび)していた60年代後半のエピソードだった。

「唐さんや寺山さんがオーディションを開くと、そこにはやる気満々の青年がこぞって集まる。ジャニーさんのところはまだそんな求心力が無かったので、ジャニーさんはそんなオーディションをマメに訪れて、端の方でじっと見ているんですね。それで唐さんや寺山さんの選に漏れた子に声を掛けるわけです。僕らからすれば『あれっ?』と思うような子なんです。唐さんや寺山さんでも見落とす魅力をキャッチする特殊なアンテナを持っていたんですね。70年代終わりから80年代にかけてジャニーズ事務所が盛り上がって行ったのは、ジャニーさんならではの直感による草の根リクルート活動があったからだと思いますよ」

名プロデューサーが語ったからこそ、ジャニーさんの名伯楽ぶりがより鮮明に記憶に残ったのだと思う。