ジャニーズ事務所の興隆を支えた要因の1つは間違いなく、社長だったジャニー喜多川さんと、長く副社長を務めた藤島メリーさんの絶妙なコンビネーションだった。所属タレントに対する愛情深さは共通していたが、その役割は明確に分けられていた。ジャニーさんはクリエーティブ、メリーさんは、経営を含むマネジメントを担った。

ジャニーさんはタレントの才能を見抜き、エンターテイナーに育て上げた。どうしたらファンに楽しんでもらえるか。自分の感性を信じ、若いタレントに向き合った。ステージで輝くために何をすべきか、徹底的に教え込んだ。純粋な追求心。最先端の技術を導入や常識破りの大仕掛けの演出でステージ費用は際限なく膨らんだ。費用を聞くといつも「そういうのは僕は分からないんです」と興味なさそうに答えた。

一方のメリーさんは、そんな弟の性分を知ってか、経営を一手に引き受けた。夢とロマンにひた走るジャニーさんを支えるためだった。テレビ各局やレコード会社、広告代理店、映画会社、制作会社との交渉は、もちろん各マネジャーが動くが、その内容に常に目を光らせ続けた。経理や社内人事も担当した。

トラブル処理もメリーさんの大事な仕事だった。特にマスコミ報道にも敏感で、所属タレントがどのように扱われているか、常に気にしていた。私が担当記者になって事務所にあいさつに伺った時、机には赤ペンで線が引かれたスポーツ紙の切り抜き記事が無造作に並べられていた。タレントにとって不利な情報を報道された出版社などを相手に取材拒否を申し入れたり、テレビ局にもホットラインで苦言も伝え、タレントを守り抜く姿勢を貫いた。

タレントのプライベート面のケアもメリーさんが大事にしてきたことだった。結婚など人生の転機の最終的な判断は、もちろんタレント自身に委ねたが、自分の意見や考えは率直に伝えた。アイドルであることがどんなことか、厳しい言葉で伝えることもあった。不祥事などが起きた場合、厳しく叱るのも役目だった。まるで母親のような愛情深さと厳しさで、所属タレントたちから慕われた。

明確に役割分担した2人は、それぞれの分野に専念して手腕を存分に発揮することができた。

「ソニー」の創業者コンビ、井深大さんと盛田昭夫さんも絶妙な関係で知られた。「技術の井深、営業の盛田」と称された2人は両輪となってソニーを世界企業に育て上げた。井深さんの有名な言葉がある。文化勲章受章の会見だった。「自分は、製品の開発など好きなことだけやってきた。嫌なこと、大変なことは、みんな盛田さんが引き受けてくれた」。その言葉は、まるでメリーさんとジャニーさんの関係そのままに重なって聞こえる。

【02~08年ジャニーズ事務所担当・松田秀彦】