スクリーンの妖精と言われた伝説の女優オードリー・ヘプバーンが63歳で亡くなってから、間もなく30年になる。ファッション界への影響や晩年の人権活動を含め、他に例えられない偉大な存在を100分に凝縮したドキュメンタリー映画「オードリー・ヘプバーン」(ヘレナ・コーン監督)が5月に公開される。

巨匠ウィリアム・ワイラー監督に見初められ、23歳で「ローマの休日」(53年)の女王役を射止めたスター誕生の逸話には、彼女を知らない若い世代も引き込まれると思う。記録映像に残された姿は、今見てもハッとするほど美しい。

人気デザイナー、ユベール・ド・ジバンシィとのコラボは、彼女を永遠のファッション・アイコンに押し上げるが、初対面を前にしたジバンシィの勘違いエピソードがほほ笑ましい。くしくも名字が一緒で、すでに不動の存在だったキャサリン・ヘプバーンを担当するものと思い込み、いざ衣装合わせに現れたペンシル体形の新人女優に最初はがっくり、やがてその魅力に引き込まれる様子を、ジバンシィ側近の元スタッフが克明に証言する。

だが、この作品でもっとも気になったのが、晩年の献身的活動のパートだ。87年に2度目の来日をした時、20年ぶりに行った記者会見に、幸運にも居合わせたことが記憶に残っているからかもしれない。

この2カ月前、ユニセフ(国連児童基金)の依頼でマカオの音楽祭に出席したヘプバーンは、わずか2分間のスピーチで会場はもちろん、テレビ放送を見た世界中の人々の心をとらえる。半ば引退状態にあった彼女がユニセフの活動にのめり込んでいった時期にこの会見は行われたのだ。

「この会見もユニセフからの依頼です。世界の平和、そして子どもたちの幸福のためなら断る理由はありませんから」

笑顔で語った姿を覚えている。当時の記事を読み返すと「白髪交じり」「顔のシワ」と年齢へのデリカシーを欠いた描写があるが、一方で「ジバンシィの紺のスーツのエレガントな着こなし」「衰えない気品」とも書いている。

この映画では、エチオピア、中米各国、バングラデシュ…戦禍の子どもたちの支援に奔走する姿が映し出される。やせ細った子どもを抱く優しい笑顔は、やり切れない悲しさに時折ゆがんでいる。

ナチス占領下のオランダで過ごした少女時代の飢餓体験が彼女を突き動かしたのではないか。劇中では何人かの証言者が推察する。「全人生をこの仕事のためにリハーサルしてきて、ついにこの役を得たのよ」ユニセフ親善大使を引き受けた時の言葉だ。

63歳の早すぎる死は、最後となったソマリア訪問からわずか4カ月後のこと。文字通り、後半生は支援活動にささげられた。

この作品では本音とも思える言葉も紹介される。

「私たちが体験した飢餓は苦しかったけど、それは第2次大戦で終わりだと思っていました。それが今、現実としてあるなんて」

ヘプバーンが支援活動に殉じてから30年。21世紀の今、ウクライナの人々が同じような「現実」に直面していることを、生きていれば93歳になっているはずの彼女はどう受け止めただろうか。  【相原斎】