がんで闘病中だと1月に公表した、日本映画監督協会理事長の崔洋一監督(72)が21日、東京・テアトル新宿でトークイベント「ラスト・ショー」最終日に登壇した。

「ラスト・ショー」は、松田優作さんが1989年(平元)11月に亡くなった1年後の90年12月3日に、優作さんと縁が深い崔監督が構成・演出して東京・池袋サンシャイン劇場で開催したライブを、30年の月日を超えて再編集した「松田優作・メモリアル・ライブ」を上映。さらに、同ライブを支えた水谷豊、桃井かおりらに新規インタビューを行った、20年のドキュメンタリー「優作について私が知っている二、三の事柄」も併せて上映しつつ、トークするものでゲストを代えて15日から1週間、行った。

崔監督は「優作について私が知っている二、三の事柄」上映前に登壇し「これを、出来れば私の最後の作品にしたくない」と語った。その後、日刊スポーツなどの取材に応じ、現在の病状について説明。19年にぼうこうがんが見つかり、20年4月に全摘手術を受けたものの21年春に肺、右の腎臓、リンパ節などに転移していることが判明。抗がん剤治療を続けてきたが、肺炎になったため一時、中断も回復してきたため、近々、抗がん剤治療を再開するという。

崔監督は「松田優作・メモリアル・ライブ」上映前に再登壇し、30年来の親交がある共同通信の立花珠樹編集委員と対談した。その中で、同氏から「ラストショーとやってますけど、ちょっと名前を変えて映画上映会とか、やっていきたいですね!!」と言われると「死ぬ死ぬサギで遺作が3本とか…魅力的なことだよね」と客席に呼び掛けた。その上で「皆さん、そういうつもりで私の顔を見に来たわけではないんだろうけど…もし、あと4、5年、新宿で飲んでいたら『このウソつき』って、たたいてください」と笑いながら口にした。

一方で、立花氏から檀上で妻への感謝の言葉を口にするよう促されると「家内に苦労をかけておりますけど…いるのかな? 後ろにおりますね」などと口にした。続いて、同氏から「どうやって死んでいくか、考える?」と聞かれると「ありますね。とある全国紙でエッセーの連載をした時『死ぬ10秒くらい前に『あぁ面白い』言い、10秒後に消える』と書いた。それでいいですかね」語った後、声を詰まらせて一瞬、宙を見上げた。

崔監督はイベントで1週間、走り続けた日々を振り返り「よく、持ったと思うよ。途中、1回くらい休むことになっちゃうかと不安だったけど、何とか持った」と語った。その上で「始まっちゃえば、これも僕の現場かなという思いが強い。撮影で演出している現場じゃないんだけど、僕らは、イッツ・ア・ショウタイム、ショービジネスの世界で生きてきたから7日間、走るエネルギーになった。皆さんの前に自分を出すというのは、最後になると思うんですけど…面白いですね」と笑みを浮かべた。