社会風刺コント集団「ザ・ニュースペーパー」のリーダー渡部又兵衞(わたべ・またべえ)さん(本名・由光=よしみつ)が7日、敗血症で亡くなった。72歳だった。葬儀は家族と親族、ザ・ニュースペーパーのメンバーで済ませた。

渡部さんは長年糖尿病を患っていて2004年(平16)に左足ひざ下を切断。以後義足で生活していた。17年には心臓にペースメーカーを入れ、週3回4時間ずつの人工透析を受けながら、ザ・ニュースペーパーの活動を続けてきた。

関係者によると最近、左足の血流が思わしくなくなり、治療のために9月1日に入院したが、手術予定だった6日に体調が急変。手術は中止され、11歳年下の妻が駆け付けたが、7日午前1時22分、静かに息をひきとった。

新潟県出身。小樽市で少年時代を過ごし、小樽桜陽高校時代は、市内の全高校演劇部と交流して舞台を作り上げるなど演劇少年だった。新劇にあこがれて舞台役者になりたくて単身、上京。桐朋学園短大演劇専攻科で演劇を学び、劇団民芸に入団した。

1988年(昭和63)のザ・ニュースペーパー創立からのメンバーとして出演を続け「舞台袖で死にたい」と語っていた。新型コロナウイルス禍以降は、重症化リスクの懸念などから、舞台への出演は控えていた。それでも、自宅で扮装(ふんそう)なしの渡部さん本人としてビデオ収録して、舞台でメンバーがビデオの渡部さんと掛け合うリモート出演のスタイルで、舞台にかかわり続けてきた。

持ちネタの1人でもある鈴木宗男参院議員は「会えば体調を心配してくれる」(渡部さん)としつつ「演じてる政治家には会っちゃいけない気がする。情が移るから」と語っていた。社会風刺コント集団の第一人者として、情は湧いても距離感は保ちつつ、政治を笑いで、鋭く描き続けた。

ザ・ニュースペーパーの広報担当によると、場所は未定だが、10月24日にお別れの会を予定しているという。

◆渡部又兵衛(わたべ・またべえ)1950年4月10日、新潟県生まれ。小学4年のとき北海道小樽市に引っ越す。小樽桜陽高卒後、上京して桐朋学園短大(現桐朋学園芸術短大)に進学。大卒後、劇団「民芸」に8年在籍し、宇野重吉ら名優の演技に接するが、舞台「夜明け前」で1人7役を演じたことがコントへの目覚めとなった。コントグループ「キモサベ社中」を経て、昭和天皇重病による「歌舞音曲自しゅく」で仕事のなくなった3つのコントグループが集結。88年「ザ・ニュースペーパー」の創立メンバーとなった。著書に自身の半生をつづった「お笑い芸人 糖尿病と二人連れ」を06年出版。

◆渡部さんの主な持ちネタ 輿石アズマ、鈴木ムネオ、渡部コウゾウ、仙谷ヨシト、福島ミズホ、福田ヤスオ、中曽根ヤスヒロ、与謝野カオル、海部トシキ、土井タカコ、立松ワヘイ