53周年を迎えている演歌歌手松前ひろ子(72)が弟子の三山ひろし(42)と一緒に、11月22日に都内で行ったディナーショーを取材しました。

松前は北海道知内町で事業を営む裕福な家庭で生まれました。お手伝いさんが何人もいて、子どものころは「『水を飲みたい』といえば出てくるし、『トイレに行きたい』と言えば誰かが連れて行ってくれた」というお嬢さま。「女の子は朝起きたら化粧をするのよ」。両親にそう教えられて育ちました。習い事も日本舞踊に琴に三味線と、希望すれば何でもかないました。

いとこの北島三郎から、歌声をほめてもらったことを心の支えに、歌手を夢見て家出同然に上京したのが18歳の時。北島の内弟子として修行をした後、1969年(昭44)に「さいはての恋」で念願のデビューにこぎ着けます。

ところが、2年後に交通事故に遭い歌手生命を絶たれます。普通の会話にも不自由をする中、約10年のブランクを乗り越えて再度ステージに。だから歌うことへの執念は鬼気迫るものがあります。「親の反対を押し切って夢を追い、家出をしてまで歌い手になった。私の中では歌うことをやめるのは許されなかったんです」と話しています。

作曲家中村典正さん(19年に83歳で死去)と結婚し、3人の子宝に恵まれましたが、歌手活動のため幼子の面倒を見ることができず、実家に一時預けたことも。運動会やお遊戯会は、本番の日に仕事がある時は、練習をこっそり見に学校(幼稚園)に行きました。そんな母親を家族全員がバックアップ。「私を気遣って言わなかったのですが、子供たちは『売れない演歌歌手の子ども』と言われていじめらえたこともあったんです」。涙をこぼしながら、「歌手松前ひろ子」を支えてくれた家族への感謝を明かしてくれたことがあります。

松前は「自分が多くの苦労をした分だけ人の苦労も分かる。自分がたくさん泣いたから、人には泣かずにすむようにやってあげようという心がある」と言います。その思いを100%注いだのが弟子の三山です。

三山は貧しい母子家庭に育ちました。高校を卒業後、地元・高知で就職をしますが、歌手になる夢を諦めきれずに25歳で上京。たまたま松前と出会い、3年間、松前夫妻の元で修業し、歌などを学んで10年に「人恋酒場」でデビューをしました。今年で8年連続のNHK紅白歌合戦出場を決めた演歌界のホープの1人です。デビューの2年後には松前の次女と結婚。松前にとっては弟子が息子にもなりました。

この日の取材で、松前は「すばらしい弟子です。わが子をほめるのはおかしいけれど、恒石正彰(三山の本名)が私のところに来てくれて本当にうれしい」。こう言って最高の笑顔を見せていました。

松前はプロフィルの中で「手抜きのできないことが短所」と書いています。常に全力でウソがないからこそ、松前の言葉は聞く人の心に届く。ストレートな思いの吐露は決して「短所」などではない。大きな魅力の1つだと思います。