フリーアナウンサー古舘伊知郎(67)が3日、東京・有楽町よみうりホールで「古舘伊知郎トーキングブルース『言葉2022』」を、1100人を集めて開催した。昨年11月以来、1年1カ月ぶり。「言葉」をテーマにしゃべり倒した。

開催中のサッカーW杯について、古舘は「日本のサポーターのゴミ拾いが、仕事を奪うことになるとか賛否両論あるけど、一番びっくりしたのはコスタリカに負けた時に、インタビューを受けたサポーターが『切り替えていく』って言っていたこと。選手じゃないのに、お門違いじゃないかと思った」と振り返った。

1977年(昭52)にテレビ朝日にアナウンサーとして入社。新日本プロレスの実況中継で大ブレークして、84年にフリーになった。「僕は“言葉中毒”。難しい言い回しを丸暗記して、みんなの前でひけらかす中毒」と話した。

「言葉」をテーマにしたことに「僕は生涯現役でいたい、しゃべり中毒なんです。(スペインの画家の)パブロ・ピカソの本名なんて、父親、祖父、曽祖父とかたくさんあって果たして本人が言えるのか分からない」と前置きして「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンディシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ」と一気に言い切って、大きな拍手を浴びた。そして「これ言えて、感無量。あと4日で68歳になるんだけどね」と笑った。

「言葉」をトーキングブルースのテーマに選んだのは02年以来20年ぶり。「安倍元総理は言葉を破壊した。それは真実を隠すため。岸田首相野言葉は空疎。伝えるべきことがないから」とテレビ朝日系「報道ステーション」のキャスター時代と変わらぬ鋭さも見せた。

そして「特異な言葉を使う3人」として社会学者の宮台真司氏、交際政治学者三浦瑠麗氏、山本太郎参議院議員を挙げて、その口調をまねて俎上(そじょう)に乗せた。そして暴漢に切りつけられる被害にあった宮台氏に「宮台先生、深手を負ったけど、また元気になって、どんどん毒を吐いてください」とエールを送った。

テレビ朝日のプロレス実況を始めた頃、昨年12月に81歳で亡くなったストロング小林さんにかわいがられた話を披露。「新人の頃、会場に着いて、いつも練習を終えた小林さんに『お疲れさまです』とあいさつに行ったんです。そうするとニコッと笑って、股間をペロっとなでられた(笑い)。ある日、つらいことがあってうつむきながらペロっとやられていたら、リングから『奮い立て~!』と声がかかった。アントニオ猪木さんだった。古舘、奮い立て…猪木さんが名前を覚えていてくれたのがうれしかった」と振り返った。

そして、10月に79歳で亡くなった猪木さんをしのんてアンドレ・ザ・ジャアント戦、ウイリー・ウイリアムス戦の実況を再現。「猪木さんの試合にはイメージと物語があった。僕は猪木さんの中に入り込んで、それを傍受して言葉にした。アントニオ猪木は肉体言語だった」と振り返った。

「俺は猪木さんによって作られている。ゴッソリ持って行かれた感じ」と猪木さんの死を表現。「9月の末に電話がかかってきて『いつ来るの』と言われて、火曜日に会いに行った」と亡くなった10月1日の4日前の事を語った。

「猪木さんは、もうしゃべれなかった。ベッドの横で、もう猪木さんの心を楽にする言葉など持ち合わせてないことが分かった。『決して1人では逝かせない』と思いながら、むくんだ足をマッサージしていた。全盛期には125キロに鍛え上げていた身体が68キロになっていて、食べることも、しゃべることもできなかった。帰り道で『早く迎えに来てくれ』と『もっと生きてくれ』という言葉が浮かんだ」。

2人で六本木の店でカラオケを歌ったこと、アフガニスタン遠征で歩いた思い出を振り返って「懐かしいですね。時折、思い出しています。俺は猪木さんに育てられた。俺自身が作った部分などない。猪木さん、そして他の人に作られた。俺は永遠に猪木さんを語り続けていく。猪木さんが旅立って四十九日から2週間がたちました。彼岸へと此岸(しがん)から遠ざかっていく猪木さんの背中が段々、小さくなっていく様な気がする。ありがとう猪木さん、もう1回言ってくれ。『奮い立て~』と。まだまだ、しゃべるぞ!」と生涯現役を誓った。

5日正午から11日いっぱいまで、期間限定で有料配信される。