吉本興業所属のお笑い芸人、ピストジャム(44)が初の著書「こんなにバイトして芸人つづけなあかんか」(新潮社)を10月に発売した。02年のデビュー以来、ブレイクできないまま20年が経ったピン芸人が経験した50種を超えるアルバイト経験をつづった1冊。このほど取材に応じ、ピース又吉直樹との交流で生まれた今作についてや、これまでの芸人生活を語った。

現在は都内で弁当の調理・配達のアルバイトをしている。「融通もきくし、収入計算もしやすい。配達のみだと注文がないとお金にならないので。今の僕には最良のバイトです。本の発売日もバイトしてましたが、今日は休んで来ました」と笑う。

出版のきっかけは約3年前に出演したお笑いライブで又吉の著書「人間」の感想文を書いたこと。学生時代以来の執筆で「思ったことをそのまま書いてぶつけた」結果、又吉に「おもろいやん」と評価された。その後に吉本が行っていた作家育成プロジェクトの告知を目に。相談した又吉に「いってみたらええやん」と後押しされて応募し、書籍化が決まった。

著書ではアルバイトに明け暮れた自身の芸人人生を赤裸々につづった。詳細を知らなかった友人や家族からも反響があったといい「『お前はこういう生活をしていたのか』と。あんまり人に言っていなかったので。20代後半ぐらいの、いとこの娘とかには『やばいね』と言われました」と苦笑いする。両親も応援してくれているというが「父親はまだ少し厳しくて。『登山の5合目に来たと思って頑張る』と言ったら『いや、まだ樹海の入り口だ』と。いきなり樹海の設定というのが怖かったですけど、そういうもんなんだなと思いました」。

慶大法学部卒業後、同級生だった、おいでやすこがのこがけんを誘って吉本NSC東京校へ。同期には、もう中学生や、ですよ。がいた。こがけんらとコンビを組んだ時代もあったが、いずれも解散し、ピンの道へ。R-1グランプリなど賞レースにも出場していたが「全部2回戦落ちでした」。日の目を見ることなく出場資格はなくなった。

自身のことは「20年間無勝」と表現する。「戦歴は消せない」と語り「何をしているのかわからない人という肩書が一番かもしれませんね。この先に勝ちがあるとするならば、バイトを辞められた時。そうなったら僕は勝ち組と名乗ります」と力を込めた。

諦めるには早い多才な一面も持つ。幼少期から絵が得意で、小学生時代には二科展に入選したことも。一時は東京芸大を目指した時期もあった。吉本の創立110周年企画をきっかけに始めた黒板アートでは、11月に静岡・熱海で開かれたアートイベント「ATAMI ART GRANT2022」にも作品を出品した。

自宅ではかまぼこ板を使った、かまぼこアートにも励んでおり、10月に又吉と出演したトークイベントで初披露して注目を集めた。「最初はかまぼこを食べて描いていたのですが、これでは破綻するということで。調べたら、板が300枚900円で売っていて、それを買いました。今はかまぼこ板と共に生活しています」。

出版を機にネットメディアでの執筆業などの仕事も増えたほか、好物のカレーを生かした「カレーマニア芸人」としても活動する。もちろん芸人として公演に出演することもあるが「バイトもいろいろ掛け持ちしながらやってきましたけど、芸人もこれからいろいろ掛け持ちしながらやっていくんやろなという気持ちで。絵、文章、カレー、それぞれ3、4万円ずつ稼げたらいいなという話ですね」。

長く手取り月収13万円で暮らし、「家賃とかいろいろ引くと何となく手元に残るのが4、5万円。1日約1500円使える生活」だったが、副業収入が増えたおかげでアルバイト出勤日も減らせるようになりつつあるという。著書の最初の印税が入ってくるのは今月。「どうなんですかね。僕は無名なので、他の芸人さんたちみたいにはいかないのは分かっています。本を出させていただけるだけでありがたいので。少しでも知ってもらって、本業の出演が増えること。そして何とかバイトを辞めたい。それを目指して頑張っていきます」。人生に勝ち星をつける。その日がくるまで、ピストジャムの芸人生活は続く。【松尾幸之介】

◆ピストジャム 1978年(昭53)9月10日、京都府出身。慶大法学部卒業後に吉本NSC東京校へ入所し、02年デビュー。いくつかのコンビを経て、ピン芸人となる。ネットメディア「FANY magazine」でエッセー「シモキタブラボー」を連載中。ピストジャムという芸名は趣味のピストバイクと、好物のジャム、音楽の即興セッションを示す「ジャムる」という言葉から。