橋幸夫(79、本名・橋幸男)が1日、東京・浅草公会堂でラストコンサートを行い、63年の歌手生活にピリオドを打った。声帯の衰えを理由に、2日後の80歳の誕生日で歌手活動からの引退を表明していた。

一昨年末からさよならコンサート「人生は長いようであっという間 夢を持って生きよう!」(夢グループ主催)を行ってきた。この日が119カ所目で、最後の勇姿を見ようと3階席まで満員の約1000人が詰め掛けた。

橋の引き出しの多さを証明する2部構成のステージとなった。1部では「潮来笠」「沓掛時次郎」「子連れ狼」などの股旅・時代歌謡。2部では「江梨子」「霧氷」「雨の中の二人」の青春歌謡や、「恋をするなら」「恋のメキシカン・ロック」などのリズム歌謡を存分に披露した。

吉永小百合と歌い日本レコード大賞を獲得した「いつでも夢を」など、橋にはデュエット曲も多い。この日は保科有里と大ヒット曲「今夜は離さない」(オリジナルは安倍理津子)なども披露した。

玩具のダッコちゃん人形が大流行し、日本でカラーテレビの本放送が始まった60年にデビューした。高度経済成長の黎明(れいめい)期。「潮来笠」を着物姿で歌う17歳の少年は一躍、人気者になった。歌謡映画が大全盛の時代。ヒット曲はことごとく映画化された。俳優として市川雷蔵さん、勝新太郎さん、美空ひばりさん、吉永小百合ら大スターと共演した。歌でも橋、舟木一夫、西郷輝彦さんの3人で「御三家」としても一世を風靡(ふうび)した。

全30曲を歌いきった。会場を訪れたテリー伊藤は「橋さんはステージ上で水を飲まない」と、プロとしての姿勢を絶賛した。それだけに最後まで引退撤回を促す声もあったが、「僕の性格で決めたことは絶対に守ります」と毅然(きぜん)と話した。

芸能界を引退するわけではないが、今後は書画作家に比重を置く。昨年4月に京都芸術大通信教育学部書画コースに入学し、勉強を続ける。歌手デビュー日と同じ7月5日から個展ツアーを始める予定だ。「今後はアーティストからアートの世界に入ります」と意気込んだ。橋が所属する夢グループの石田重廣社長は「ファンのために、この日の模様を収録したフィルムコンサートを全国で行う予定です。個展と一緒に開催したい」と話した。

歌手として最後の歌唱となる「いつでも夢を」を歌う際、「私の歌手生活が数分で終わろうとしています。力を貸してください。一緒に歌ってください」と願った。会場にペンライトが揺れ、大合唱が響いた。

途中でグッと来たシーンもあったが、終演に涙はなかった。手を振って「心から感謝します。健康で、素晴らしい人生をお送りください。ごきげんよう」とファンに別れを告げた。デビューから2万2948日。通算動員は300万人。「緞帳(どんちょう)」とともに、歌手橋幸夫の幕が閉じた。   【笹森文彦】

 

○…橋幸夫の名前と歌を継承する「二代目 橋幸夫」の4人が終演後にステージで紹介された。オーディションで選ばれた川岸明富(あとむ、21)徳岡純平(22)進公平(27)小牧勇太(42)の4人。ソロだけでなく歌謡グループ「yH2」(幸夫・橋の頭文字と2代目の2)としても活動する。それぞれ橋幸夫の「夫」の字を変えた芸名になるが、発表はyH2としてデビューする夏になる予定。4人は連休明けにも、橋が所属する夢グループの社員となり、レッスンを積む。橋は「礼節を忘れないように」とアドバイスした。