後攻のギャロップが先攻のマシンガンズに276-246で勝利し、初代王者に輝いた。133組の頂点に立ち、賞金1000万円などを手にした。

ボケ担当の林健(45)とツッコミ担当の毛利大亮(41)が生放送終了後、優勝記者会見に臨んだ。

-優勝した実感は。

毛利 えー、まだ全然

ごめんなさい。こんなもん慣れてないのが正解です。

いやいや、本当に全然まだちょっと実感ないですね。

まだなんかこうフワーっとしてる感じで

はいどれくらいで湧いてくるのかが楽しみです。

林 いや。もうこの瞬間はちょっとなんかあの笑ってしまいそうな、え、ギャロップですよっていう。本当にこういう経験がないので。実感は全然ないです。

-今回の戦いを振り返って。準々決勝で、テンダラーとの関西ダービーを制した。

毛利 本当にもう、トーナメント表抽選会の時から、本当に一番嫌だったので。僕はここを勝てたら何とかなるんじゃないかという思いはありました。

林 逆にもうテンダラーさんに勝ったら優勝やなっていう気持ちで戦いました。

-準決勝は囲碁将棋との戦いだった。284対284の同点だったが、大会規定で3点の得点者が多かったギャロップが勝った。

林 まず今日の前に「ラフ次元」という後輩と戦っているんですけど。どんだけ吉本の人と戦わなあかんねんというのを、まず3連続やったんで。ラフ次元の梅村(賢太郎)くんに僕は1点差で勝ったんですよ。「ベスト16からベスト8への戦いでギャロップさんが優勝してくれたら、もう僕らは実質2位みたいなもんです」みたいなことを言ってたんですけど、囲碁将棋と同点だったので、ラフ次元は2位というのはもう幻想になりました。梅村くん、申し訳ない。ごめんね。

-囲碁将棋とは初対戦だった。

林 もちろん初めてで、同じ日の劇場出番とかも1回か2回というレベルですね。どっかで知らん間に誰かが倒してくれてたらいいのに、みたいな極端に言って、もちろんその倒した相手も結果強い相手になっちゃうんですけど、そういう感覚ですね。優勝するにあたって考えるとですけれども。

-決勝戦はマシンガンズと対戦した。

毛利 ネタ見させていただいて自然的に見ちゃうので、本当にコンビでしゃべってたんですけど、ほんますげえなという。すごいぞ。この人らっていうのを何回喋んねん、というくらいしゃべっちゃってたんで。見ないようにしようと思いましたけど、やっぱり見ちゃって。

林 めちゃくちゃシンプルに言うと面白いことを言うのが上手なおじさんたちっていう、なんて言ったらいいんですかね。自分たち先輩のことを言うのは本当に失礼なんですけど、僕は最初からネタないって言ってたわりに弱いって言ってたわりに、ずっとウケ張るなと思って。ちょっと弱くなったって確かに僕も思ったんですけど、弱くなったのを逆手にとってちゃんと笑いに変えて。すごいなあって、本当にすごいなあですね。これちょっとできへんなあ。

毛利 多分、私はできないテクニックを何カ所も僕は見させていただいたなあって。あとその後半まで見ていったらあ、本当に(ネタ)いんだな。それもすごいなあっていう。なんで、あんな面白いのにいけると思ってないという前提でやってこられたのかっていう。その辺もなんかいろ、いろ重なっている。すごい方々だなあっていう。

-133組に頂点に立った。

毛利 本当に中途半端なところで終わるのが一番嫌やったなあっていうのもあって。最初にやっぱりポッドAというところに選んでもらったっていう。なんか、こう勝手に責任感もあったりとかして。そうですね、なんでしょう。本当に今優勝できてよかったなあ、と思ってます。ちょっとずつ実感が出てきてますね。

-優勝賞金の使い道は。

林 全く自分たちに縁のないそんな無理やわって思ってる時は、結構好き勝手に買いたいものを言うんですけど、いざ(お金が)入るとね。使わないでしょうね。これがね、大多数の日本人じゃないですかね。先に不安を抱えてる人って結構今多いよね、老後の。「THE SECOND」は、やっぱり老後のことも考える人たちが出る意味であると思います。

毛利 こういう質問をいただいたりもしたんですけど、漫才で恩返しできるような使い方はちょっとしたいなと思ってましたね。スーツでも2人で作ろうかみたいなお話もね。

-内訳は。

林 一応表向き半々で、ということで。

◆ギャロップ 吉本興業大阪所属。03年12月結成。林健(はやし・たけし)1978年(昭53)5月17日生まれ、大阪市出身。ボケ担当。毛利大亮(もうり・だいすけ)1982年(昭57)4月11日生まれ、京都府出身。ツッコミ担当。M-1の最高成績は18年の決勝8位。