12歳で俳優デビューして映画、テレビ、ラジオで活躍、今年で芸能生活76年目を迎えたタレント毒蝮三太夫(87)が文春新書「70歳からの人生相談」を出版した。「毎日を良く、自信を持って生きよう!」と言う毒蝮に、その生きざまを聞いてみた。

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「カミさんと結婚して60年、たっている。60年たってるけどね、仕事についてあれこれ言われたことがない。逆に言うとね、俺、いつでも辞めていいんだと思うんだよね。健康の秘訣(ひけつ)はね、楽ですよね。楽というか自由ですよね。仕事のこととか、車もないじゃねえとか言われないっていうのは本当にありがたいことで、本当にそれでダメになってきた人がいるんだよね。俺はだから、今は1週間に1回ぐらいの仕事でいいんだろうな。あとは横浜にドライブしたりするのも好きだしね。コロナ禍が終わって、世の中も飲み会とかで消費が上向きになってるんじゃないかな」

車を自ら運転して、横浜ドライブを楽しむ87歳。

「俺はね、ケータイ持たされてるんだけど、ガラケーなんですよ。だから写真も、メールももらったら見るくらい。だけど、周りにいろいろと助けてくれる人がいるんで、なんとかなる」

今、アラ還世代が、毒蝮が出たTBS系「ウルトラマン」「ウルトラセブン」を子供の頃に見ている。今年62歳になる記者は、幼稚園2年保育の年少組、5歳になった時に「ウルトラマン」の科学特捜隊のアラシ隊員を演じる毒蝮の雄姿を見ていた。最終回の「さらばウルトラマン」で、ウルトラマンを倒した宇宙怪獣ゼットンに「無重力弾」を打ち込んで爆破したのはアラシ隊員だった。

「俺のメンコもあったりしたね。最後の『さらばウルトラマン』ってのはね、(神奈川県)大船にあった資生堂の工場でロケをしたんだ。ウルトラマンが最後に生まれ故郷のM78星雲に帰って行くでしょ。それで『さらばウルトラマン』。大船ロケで最後に、子供たちがみんなで見送ってくれたんだ。最後に終わって、俺が車の窓をパッと開けたら、それを見た子供たちが『ウルトラマンが帰って行く』って言ったって。そういう話を(制作会社円谷プロ社長の)円谷英二さんが聞いて『作ってよかったな』って言ったと。その頃の子供が、大人になって声をかけてくれる」

「ウルトラマン」のアラシ隊員に憧れて宇宙に夢を描き、スペースシャトルの宇宙飛行士になったのが毛利衛さん(75)だ。

「俺のところに来て急に敬礼して『アラシ隊員は僕のヒーローです。僕が宇宙飛行士になったのは、家族特捜隊のアラシ隊員にあこがれて』みたいなことを言われてね。あの人は本当に宇宙に行ったんだけど、俺たちはピアノ線につるされた宇宙船で行ったんだから、えらい違いだった(笑い)。こういう人がそういうふうに思ってくれたんだなと思ってね、うれしかったよ。芸能人でも、60歳以上の人が俺のそばに来ると、あれこれ取材されるよ。それより、アラシ隊員が毒蝮(三太夫)になって驚いたでしょ」

(続く)

◆毒蝮三太夫(どくまむし・さんだゆう)1936年(昭11)3月31日、東京生まれ。48年に本名の石井伊吉(いよし)で舞台「鐘の鳴る丘」で俳優デビュー。51年「青い真珠」で映画デビュー。57年日本テレビ系「坊ちゃん」でドラマデビュー。59年日大芸術学部映画学科卒業。66~67年TBS系「ウルトラマン」で科学特捜隊のアラシ隊員。67~68年同「ウルトラセブン」でウルトラ警備隊のフルハシ隊員。68年日本テレビ「笑点」出演中に立川談志の助言で本名から芸名を毒蝮談三太夫に改名。69年TBSラジオ「ミュージックプレゼント」スタート。170センチ。78キロ。血液型O。