「スーパー歌舞伎」で人気を集めた歌舞伎俳優市川猿翁(いちかわ・えんおう)さん(本名喜熨斗政彦=きのし・まさひこ)が13日午前6時55分、不整脈のため亡くなった。83歳。葬儀、告別式は親族葬で執り行い、後日、お別れの会を開催する。長男は市川中車こと香川照之(57)、孫は市川團子(19)。

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猿翁さんは03年11月に博多座公演中に初期の脳梗塞で降板して以降、療養生活を続けていた。最後の舞台は13年12月の京都南座で行われた、自身の2代目市川猿翁襲名の披露口上だった。口上は代読させたが、両手を広げ感謝を示した。締めのあいさつでは自ら声を出し「隅から隅までずずいーと、こいねがいあげ奉りまする」とあいさつし、大きな拍手を受けた。舞台に立つことは激減したが、監修やスーパーバイザーとして、作品に関わることは多かった。

その後も療養が続き、18年2月、市川右團次らが出演した名古屋・中日劇場公演のカーテンコールに登場したのが、公に見せた最後の姿になった。

3代目市川猿之助時代から、「スピード」「ストーリー」「スペクタクル」の3Sを重視して、現代に生きる歌舞伎を探求してきた。1986年(昭61)にスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」が初演され、その後も「オグリ」「新・三国志」シリーズなど数々の作品を作り上げた。

代名詞は宙乗り。場内をいっぱいに使った大胆な演出は大いに観客を沸かせ、さまざまな作品に取り入れられた。宙乗りは5000回以上を数え、ギネスブックにも登録された。歌舞伎ファン以外の観客を劇場に呼びこみ、活躍は国内だけにとどまらず、海外公演やオペラの演出も手がけた。

12年にはおいの市川亀治郎に4代目市川猿之助を襲名させ、自らは2代目市川猿翁を名乗った。同時に、実子の香川照之が市川中車として歌舞伎界入りした。

晩年は悲しい出来事が続いた。今年5月には弟市川段四郎さんを亡くし、猿之助被告は両親に対する自殺ほう助の罪で初公判を控えている。舞台以外のことで名前が挙がることも多かったが、歌舞伎に新しい風を吹き込んだ功績は大きい。

◆市川猿翁(いちかわ・えんおう)1939年(昭14)12月9日、東京都生まれ。父は3代目市川段四郎、母は女優高杉早苗。1947年(昭22)に3代目市川團子を名乗り初舞台、63年に3代目市川猿之助を襲名。12年、2代目市川猿翁を襲名。88年に「猿之助十八番」を家の芸として制定、10年には新たに「猿之助四十八撰」を制定した。最後の舞台出演は13年12月南座「襲名披露口上」。仏文化芸術勲章オフィシエ、芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章、文化功労者など。私生活では65年に女優浜木綿子と結婚し、香川照之が生まれるが68年に離婚。00年に藤間紫さんと結婚、09年に死別。