大手芸能事務所サンミュージック所属のお笑いコンビ・ブッチャーブラザーズのリッキーこと岡博之社長(65)が11日、都内の紀伊国屋書店で著書「サンミュージックなお笑いの夜明けだったよ! 付き人から×社長になった男の物語」(晶文社)刊行記念トークイベントを開いた。
一番弟子ダンディ坂野(56)のネタで03年の「新語・流行語大賞」にノミネートされた「ゲッツ」が、元々は「ゲット」だったと明かした。
岡社長は23年11月6日付で社長に昇格し、1968年(昭43)11月に創業した、創業者の相澤秀禎氏の長男の正久社長(74)は代表取締役会長に就任した。同11月27日に創立55周年を迎え、さらなる飛躍を目指した人事となった。イベントの前に、相方のぶっちゃあ(69)と囲み取材を行った岡社長は「95%芸人。5%社長…力を入れすぎるとダメ」とジョークを飛ばしたが「社長をやる時は社長100。芸をやる時は芸100が正しい」と、社長業に精励する今の心境を語った。
ブッチャーブラザーズは、東映京都撮影所の大部屋俳優からキャリアを始め、知り合った森田健作(74)の付き人兼マネジャーとしてサンミュージックに入所。80年にブッチャーブラザーズを結成も、83年にサンミュージックがお笑いから撤退したためプロダクション人力舎に移り、養成所「スクールJCA」で指導。1期生にアンジャッシュ児嶋一哉(51)、2期生には渡部建(51)がいた。フリーだった98年、サンミュージックが新世紀お笑いプロジェクト「プロジェクトGET」を発足させた当時、プロデューサー就任を含めて復帰を打診された。その際、渡部と同期だった坂野を引き連れて復帰した経緯がある。
岡社長は「41年前、1組だけのお笑い…我々が難しくて辞めた」と、サンミュージックのお笑いからの撤退を振り返った。サンミュージックに復帰すると、定期ライブの開催を提案し、ぶっちゃあとプロデューサーに就任。すると、坂野がNHK「爆笑オンエアバトル」で頭角を現した。そのことを踏まえ「(サンミュージックに)戻って25年。『最低で5年…芸人はそう簡単ではないんで。5年間、文句を言われなければ戻ります』と言った。一番弟子の坂野が約束通り5年で、何もなかった。タレント契約で完全歩合だから、金もかからず、良いと言っていたら、5年半で大ブレーク」と、坂野のブレークの経緯を語った。
そして「本当は『ゲット』だったのに、あいつが滑舌悪く『ゲッツ』と…通りが良いんで」と笑いながら振り返った。
坂野に続き、カンニング竹山(52)がキレ芸で日本テレビ系「エンタの神様」でブレーク。他事務所で芽を出しきれなかった芸人がサンミュージックでブレークし、メイプル超合金のカズレーザー(39)の活躍に続く、お笑いという軸を同社に作った、いわば中興の祖とも言うべき存在で“東京お笑い界の父”との声もある。11年に取締役、21年4月に副社長を歴任していた。
サンミュージックの今後については「まず、絶対に歌…歌謡曲、アイドルなのか。バンド、アーティスト系もいる。サンミュージックだから、ここにあり。もうかるじゃないですか? 配信、新しい展開をやっていかないといけない」と、新たな歌手のスター誕生を誓った。



