29日に肺がんで亡くなった落語家三遊亭円楽さん(享年76)は、66年に放送が始まった日本テレビ系「笑点」(日曜午後5時30分)の顔だった。第1回からのメンバーで、83年から23年間、4代目司会者として出演した。「がははは」と豪快に笑いながらも、上品さと博識ぶりが垣間見える司会ぶりが人気だった。06年に勇退したが、記念の回などには出演するなど番組にはなくてはならない人だった。「笑点」をともに引っ張った桂歌丸(73)も悼んだ。

 43年間放送されている長寿番組「笑点」の人気を盤石にしたのは円楽さんだった。立川談志、前田武彦、故三波伸介さんに次いで、4代目司会者を23年間務めた。06年に勇退したが、昨年3月には一門の新真打ち昇進披露口上の回に出演して元気な姿を見せていた。

 円楽さんは歌丸とともに、66年の放送開始時の出演者だった。端正な顔立ちとしっかりした古典で知られていた円楽さんは「星の王子さま」のキャッチフレーズで人気者に。番組の中では、ほかに「ベルサイユのばら」「湯上がりの男」などと呼ばれ、今で言うイケメン代表のような存在だった。

 「笑点」をきっかけに、人気は全国区になりレギュラー番組も増えたが、円楽さんの思いは複雑だった。77年3月に「落語に専念したい」と、番組を降板した。人気出演者だった円楽さんのために、最後の収録では卒業式が行われた。司会の三波さんが、卒業証書を読み上げ、馬面と冷やかされていた円楽さんに、記念品としてにんじんが贈られた。笑いがいっぱいの卒業だった。

 しばらくは高座に専念していたが、お茶の間が円楽さんを求めていたのかもしれない。テレビへの本格復帰はやはり「笑点」だった。82年12月に三波さんが死去し、急きょ司会を務めることになった。友情出演の形で、円楽さんも2回ほどの出演で終わると考えていた。しかし、評判は予想以上だった。もともとあった明るさや上品さに、高座で鍛えてきた貫禄(かんろく)が加わっていた。

 それから23年、司会者を務め笑いを発信し続けた円楽さんは、「笑点」の代名詞だった。

 [2009年10月31日8時58分

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