「ヒゲの一鶴」として親しまれた講談界最長老の田辺一鶴(たなべ・いっかく)さん(本名・佐久間秀雄=さくま・ひでお)が22日午前7時、都内の病院で肺炎のため亡くなった。80歳だった。54年に初高座を踏み、時事的な話題やスポーツを盛り込んだ型破りな新作講談で多くのファンを楽しませた。葬儀・告別式は遺族の意向で親族と一鶴一門のみの密葬で行い、後日、お別れの会を行う予定。

 一鶴さんは長年連れ添った妻と別居し、1人暮らしが続いていた。食事をあまり取らないため近年は体力の衰えが目立ち、所属する講談協会関係者が入院を勧めていたが、一鶴さんは「病院に入るのなんか嫌だよ」と断っていた。しかし、自宅で寝ていてベッドから落ちたことから11月に入院。体力を回復するために努力したが22日朝、1人息子らにみとられて息を引き取った。10月が最後の高座だった。

 一鶴さんは54年に高座デビューした。強度の吃音(きつおん)で、入門当時は田辺のタが言えなかったり、「こんばんは」のコが言えずに苦しんだ。しかし、吃音矯正と芸の習得に格闘しながら独特の話術を磨いた。64年に万国旗を使って参加国名をすべて読み上げる新作「東京オリンピック」を発表して人気を得た。大きな口ヒゲをトレードマークに、68年にはNHK「ステージ101」にレギュラー出演したのをはじめ、70年代には映画や舞台、CMに出演するなど活躍。高座で跳んだり跳ねたり派手な芸風で異端児と呼ばれ、72年にエルビス・プレスリーと共作でレコード「ポークサラダ兄ィ」を出した。

 「ほかの人がやらないことをやって、個性を出さなきゃいけない」が持論で、時事的なニュース、話題の人物を素早く取り入れたユニークな新作を数多く発表。「野茂英雄物語」「イチロー物語」「高橋尚子物語」のスポーツ講談や「田中角栄伝」「貴花田と宮沢りえ」「古賀政男物語」も手掛けた。また、講談界で初めて女性の弟子を持ち、数多くの女性講談師を育て、初の外国人講談師もデビューさせた。

 一般人対象の講談大学や妖怪講談の「記憶能力検定」を始めるなど講談界きってのアイデアマンだった。本好きで知られ、都内に芸能古書の「イッカク書店」を開き、ロサンゼルスやパリで海外公演も行った。芸能生活55周年に向け「自叙伝」を執筆していたという。「101歳まで現役が目標」だったが、その願いはかなわなかった。

 [2009年12月23日8時28分

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