1993年(平5)に亡くなったアナウンサー逸見政孝さんの妻で、エッセイストの逸見晴恵(いつみ・はるえ)さんが21日午後0時57分、肺胞タンパク症のため、さいたま市大宮区の病院で亡くなっていたことが分かった。61歳だった。葬儀・告別式は、24日に近親者だけで営まれた。喪主は長男で俳優の逸見太郎(たろう)。晴恵さんは、子宮頸(けい)がんを治療した経験があり、十数年前から骨髄異形成症候群で闘病していた。夫をがんで亡くした晴恵さんも、がんで天国に召された。

 太郎の所属事務所によると、晴恵さんは約4カ月前から入院していたという。骨髄異形成症候群との闘いは十数年にもおよんでいた。太郎は仕事で駆け付けられなかったが、最期は長女の愛さんがみとった。太郎と愛さんの、母親を静かに見送りたいとの思いで、身内とごく親しい友人だけで家族葬を営んでいた。

 骨髄異形成症候群は、血液細胞のがんの1つで、造血に異常をきたす。貧血を起こしやすくなり、抵抗力も弱まるという。これまで入退院を繰り返していたが、約4カ月前からは長い病院生活が続いていた。

 振り返れば、夫政孝さんとともに、長く病気と闘い続けてきた。93年9月に政孝さんが、がんを告白し9時間におよぶ大手術を受けたが、スキルス胃がんの進行は止められず、12月25日に死去した。94年6月に、晴恵さんにも子宮頸(けい)がんが見つかった。そして、治療の過程で医師に骨髄異形成症候群を告げられたという。

 病を家族以外に告げることはなかった。晴恵さんの周囲への気遣いだった。しかし、03年、自身の体験を伝えたいとの思いから、がんだったことを著書「黙っているのもうやめた」などで告白し、講演活動にも取り組んだ。

 公式ホームページ(HP)の冒頭あいさつでは「がんに対する憎しみ、恐れはなくなりました。ただ、付き合い方が分かりました。どんなときも人生の主役は自分なのだから、決して病気に主役の座を明け渡してはならないということも」と、決意をつづっている。晴恵さんは、病気と闘う人々や家族にとって心強い存在で、がん患者、家族のための海外旅行を企画するなど、明るく生活できるように常に心を砕いてきた。ここ2年ほど晴恵さん自身は参加できなかったが、今年はカナダ旅行が催されたという。

 16年におよぶ闘病を終えた晴恵さんは、家族と親しい人に見守られて静かに旅立った。関係者によれば、全国各地で講演活動を行ってきたこともあり、要望の声が上がれば「お別れの会」が開かれるという。

 [2010年10月26日8時5分

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