「男と女のお話」などのヒット曲で知られる歌手日吉(ひよし)ミミさん(本名・黒岩和子=くろいわ・かずこ)が10日午前5時30分、膵臓(すいぞう)がんのため都内の病院で亡くなった。64歳だった。70年代に独特の歌い方で「男と女の数え唄」「世迷い言」などのヒットを飛ばした。09年のデビュー40周年キャンペーン中に膵臓がんとなり、闘病しながら活動を続けた。すでに親族のみの家族葬を行った。

 日吉さんは09年4月、デビュー40周年記念曲「言の葉の夢」キャンペーン中に体調不良となり、訪ね歩いた4つ目の病院で膵臓がんと診断され、緊急入院した。8時間におよぶ大手術にも耐え、約3カ月の入院を経て退院。がんを公表することなく同年秋にはステージに復帰した。翌10年には命への自分の思いを込めた新曲「いのちのしずく」を発表。その時に初めて、膵臓がんの手術を受けていたことを明かした。

 その後も抗がん剤治療を定期的に受けながら、テレビ、ラジオ出演やキャンペーンイベントを精力的にこなしたが、今年春先から体調を崩した。5月30日のNHKラジオ「歌の散歩道」出演を最後に6月上旬に再入院。夫でマネジャーの黒岩慶三さんにデビュー45周年となる来年の活動への意欲を話していたが、数日前に容体が急変した。黒岩さん、親族にみとられて息を引き取った。

 故人の遺志もあって、葬儀は親族のみの家族葬をすでに済ませた。お別れの会の予定はないという。戒名は「日芳院釈尼美和正定聚(にっぽういんしゃくにみわしょうじょうじゅ)」。骨つぼには最後のCD「いのちのしずく」も納めたという。

 日吉さんは67年に池和子としてデビューし、69年に日吉ミミと改名。70年に「男と女のお話」が大ヒットし、NHK紅白歌合戦に初出場した。鼻にかかったハスキー・ハイトーンの独特の歌い方で「男と女の数え唄」や寺山修司が作詞した「ひとの一生かくれんぼ」「たかが人生じゃないの」がヒットし、78年には人気ドラマ「ムー一族」の中島みゆき作曲の劇中歌「世迷い言」が話題を呼んだ。

 80年代には「オレたちひょうきん族」にレギュラー出演し、90年には磁気ばんそうこうのCM曲「北風ぴゅうぴゅう」がヒットするなど、一線で活動した。