「放浪記」2000回を達成し、国民栄誉賞、文化勲章を受けた国民的女優森光子さん(本名・村上美津)が10日午後6時37分、肺炎による心不全のため都内の病院で亡くなった。92歳だった。今年9月に入院し、静かに眠るように息を引き取ったという。14日に密葬を済ませた直後に公表した。森さんの遺志だったという。後日、本葬を行う。80年近くも舞台、ドラマ、映画で第一線を歩き、昭和・平成を代表する国民的女優だった。

 国民的女優はひっそりと亡くなった。この日、実妹の長男柳田敏朗さんが、亡くなるまでの経緯を東宝を通じて明かした。生前の希望もあって、家族だけで密葬を済ませたという。柳田さんは「これまで仕事柄、ゆっくりと時間が作れなかったので、家族とともに、この最期の時を一緒に過ごすことができましたこと、ありがたく存じます」。これまでも栄養管理のため短期間入院することがあったが「この9月に大事をとって入院しておりましたところ、静かに眠るように息を引き取りました」。

 関係者によると、9月に入院してからも森さんは舞台復帰への意欲は衰えなかったという。体調がいい時は病室でスクワットを150回も行い、関係者が見舞いに来ると、寝間着からブラウスとカーディガンに着替えて応対した。11月に入っても、会話するなど元気だったが、10日に容体が急変したという。

 森さんは10年1月に滝沢秀明と共演した帝劇「新春

 人生革命」公演後の2月、公演前の定期検査で体力を不安視する主治医の勧めもあって、同年5月から東京・帝劇で上演予定の「放浪記」の中止を決めた。その後、自宅で静養し、雑誌やテレビの番組取材に応じる一方、好きなジャニーズ関連の公演に足を運び、共演した池内淳子さん、小林桂樹さんが亡くなった時は追悼のコメントを寄せていた。しかし、昨年に入ってからは体調を崩し、順天堂大病院にたびたび入院し、点滴の栄養補給などを行っていた。そのため、ジャニーズ関連の公演を見にいくこともできなくなり、今年2月に肺炎を発症。4月には胃ろう手術を受けて栄養補給を続けたが、体の衰弱は進んでいた。昨年11月に親交のあった東山紀之・木村佳乃夫妻に赤ちゃんが生まれた時にコメントし、今年2月の堂本光一主演舞台「SHOCK」初日に公演ポスターを掲げる写真が公表されたが、それは前月1月22日に撮影され、最後の近影になった。また今年7月に山田五十鈴さんが亡くなった時にコメントを寄せたのが最後になった。

 森さんは70歳を過ぎたころから、当時大リーガーだった野茂英雄氏が通ったスポーツジムに通い、毎日欠かさず150回のスクワットを行い、自転車型トレーニング器具をこぐなど体力づくりに励み、「放浪記」で87歳まででんぐり返しを披露し続けた。09年5月9日の89回目の誕生日には「放浪記」が前人未到の上演回数2000回を達成し、千秋楽に通算2017回を数えた。その成果に俳優として初の生前授与となる国民栄誉賞を受けた。

 デビューは15歳だった。当時の映画スター嵐寛寿郎さんがいとこで、時代劇映画に出演した。戦時中は中国などで歌の慰問活動を行った。戦後は喜劇の舞台やテレビ出演などを経て、大阪から上京。41歳で主演した「放浪記」が大ヒットし、「あいつよりうまいはずだが、なぜ売れぬ」と嘆いた才能が一気に花開いた。明るい性格と庶民的なキャラクターで舞台、ドラマ、映画、ワイドショー司会と多方面に活躍。国民的女優の座を不動のものにし、「日本のお母さん」として多くの人に愛された。【林尚之】

 ◆森光子(もり・みつこ)本名・村上美津。1920年(大9)5月9日、京都市生まれ。戦前からいとこの嵐寛寿郎の芸能プロに所属、娘役や歌手として活動。戦後は大阪で喜劇女優となるが、58年に劇作家菊田一夫氏に誘われ上京。59年に演出家の岡本愛彦氏と結婚するが後に離婚。舞台「放浪記」「おもろい女」のほか、ドラマ「時間ですよ」などに主演。74年から14年間、ワイドショー「3時のあなた」の司会も務めた。98年文化功労者。05年文化勲章受章。09年に89歳誕生日に舞台「放浪記」公演2000回を達成。同年、女優として初めて国民栄誉賞受賞。153センチ、血液型B。