サッカーFIFAワールドカップ(W杯)カタール大会1次リーグE組で、日本がスペインに逆転勝利し、決勝トーナメント(T)に進出した。サッカーに特に詳しくない私のような人間でも、日本が撃破したドイツやスペインが強豪だという認識はあるので、今起きていることがどれだけすごいことなのか、毎日、胸が躍る。

カタール大会が始まった後、国会では2022年度第2次補正予算案の審議も始まったが、単調な答弁が目立つ岸田文雄首相も、日本代表がドイツ、スペインに勝利した際にはツイッターで勝利を祝福。決勝T進出が決まった12月2日朝には、報道陣の取材にも答え、森保一監督に電話で祝意を伝えたことを披露する喜びようだった。

日本代表は12月6日午前0時から決勝Tでクロアチアと対戦する。前回のロシア大会で準優勝したヨーロッパの強豪だが、クロアチアとサッカーという側面に関しては、今の強さとは別の「顔」に接した思い出がある。

日本が初めてサッカーW杯に出場したフランス大会。大会開幕前の1998年5月、クロアチアを取材で訪れ、各地を回ったことがある。「アドリア海の真珠」と呼ばれる地域の美しさは今も心に残るし、首都ザグレブや絶景のドブロブニク、世界文化遺産のプリトヴィツェ国立公園やローマ時代の港湾都市スプリットなど観光地もめぐった。テナガエビなどの地魚や、ワインのおいしさ…。「敵を知ろう」という目的から脱線しかけながら滞在していた時、当時のクロアチア代表がオーストラリア代表と親善試合をするというので、取材に出かけた。

ザグレブのマクシミールスタジアムで行われた試合は、当時のクロアチアのスター選手で、レアル・マドリードに所属していたFWスーケルの7得点で大勝。強さを目の当たりにしたが、一方で観客は収容人数の3分の1ほどで、スタジアムはがらがらだった。お国柄的にはサッカーがさかんで、子どもたちもサッカーが大好き。テレビ中継もあったが、当時のクロアチアが置かれた環境を考えると仕方ない状況だった。

旧ユーゴスラビア構成国の1つだったクロアチアは東欧諸国の民主化の流れを受け、1991年、旧ユーゴ連邦からの独立を問う国民選挙を経て議会が独立を宣言。92年に国際機関も独立を承認したが、セルビア人勢力との間で戦闘が激化し、美しい町並みを砲弾が襲った。戦闘状態が終わったのは1995年で、私が訪れたのはそれからまだ3年しか経過していなかった。銃弾が撃ち込まれ朽ちた建物が多く残り、あれほど戦争を身近に感じたことはなかった。

通訳に就いてくれたクロアチア人の男性も、戦闘を経験していた。戦争からの復興のさなかにある国はまだ貧しく、「1日1日を生きるのが精いっぱいで、サッカーにまで関心が回らない」と聞いた。日本は当時、初めてのW杯出場に国中が沸いていたが、クロアチアもこの時が初出場だった。国内リーグが開幕した時期も1992年で、日本のJリーグとそう変わらない。サッカーがさかんなベースがあっても心底楽しめる環境には、当時はなかった。サッカーの強さとは別の「顔」に複雑な思いを感じたものだった。

この時のフランス大会では、日本は1次リーグで敗退。クロアチアは初出場ながら、3位に入った。

あれから20年あまり。その後、戦闘からの復興を歩んだクロアチアは、世界有数の観光都市としての顔を取り戻しつつある。サッカーでも、前回2018年のW杯ロシア大会で準優勝するなど強豪ぶりを発揮している。

日本とクロアチアのサッカーでの対戦は、W杯では今回が3回目。まだ日本は勝ったことがないが、今の日本代表の勢いは、これまでとはまったく違う。そしてクロアチアも、サッカーがさかんな環境が十分に整わなかったころとは変わっていると思う。国民も、サッカーを純粋に楽しめる環境に身を置きつつあるのではないだろうか。

そんな思いもあって、クロアチアを訪問した時に知り合った方に、日本戦を控えたクロアチアの今の国内の様子を、SNSで聞いてみた。当然ながら決勝トーナメント進出で、喜びに沸いているそうだ。日本ではなく、ドイツと対戦するのではないかと思っていた人も少なくなかったそうだが、なんと言っても、強豪を連続して撃破した日本との対戦だ。「カミカゼ(神風)に勝とう!」と、試合に備える人もいるという。【中山知子】