7月3日の公示に向けて、参院選の準備が各党で最終盤を迎えている。候補者の擁立作業も最終盤となる中、「大物」の擁立が正式に発表された。立憲民主党が比例代表に擁立する元参院議員の蓮舫氏(57)だ。
前回の22年参院選東京選挙区で4回目の当選を果たしたが、昨年の東京都知事選に出馬し、まさかの3番目の票数で落選。その後のインスタライブで「国政から卒業して都知事に手をあげて(多くの聴衆が集まる)すごい景色を見た。残念ながら結果は出せなかったけれど、120万以上の人が『蓮舫』と書いてくれたのに、また国政に戻るというのはちょっと私の中では違う。渡り鳥みたいじゃない?」「自分の中で整理をつけなきゃいけない。いったん、ピリオドかな」と語っていただけに、1年もたたない中、参院選での国政再挑戦には党内でも疑問や批判の声があり、執行部側がそれを押し切る形で今回の判断となった。
選挙への立候補は自由だし、今回「目玉候補がいない」(関係者)とされる立民の執行部が、蓮舫氏の高い知名度に期待するのは、当然かもしれない。ただ「いったん」でも「ピリオド」と口にしながら、また国政(しかも参議院)を目指す方針に転換。立民関係者から「じゃあなぜ都知事選に出たのか。3年後の都知事選を目指すための『いったんピリオド』なら分かるが、1年たってまた参院に戻ろうとするというのは、戦略としてどうなのか」「『ピリオド』の意味が分かって言ったのか」など、皮肉や厳しい声を聞いた。それも仕方ないと感じる。
そんな蓮舫氏の、公認内定後初めての街頭演説を取材に行って、少し前に取材したあの人の記者会見との違いを感じた。国民民主党から参院選比例代表に公認予定とされながら、過去の不倫疑惑報道に関する説明不足などから、出馬会見の翌日に公認内定を取り消された山尾志桜里元衆院議員(50)の会見だ。
山尾氏は単身で会見に臨み、2時間半、つるし上げのような質問も含めた質疑に応じた。何をどう聞かれても、記者側の疑問が晴れるような答えはなく、最後は攻める材料も尽きるような形となって会見が終わり、よくも悪くも、山尾氏の「信念」の壁は突き崩せなかった。山尾氏が後に暴露したように、党幹部は「辞職会見」なら同席するという逃げの姿勢だったため、山尾氏は最後まで1人で記者への説明を続けた。
一方、蓮舫氏は記者会見を開いたわけではない。街頭演説後、取材に来ていた記者に囲まれ、その場で質問に応じる形となった。なぜ記者会見しないのか問われると「街頭演説に来ていただける記者の人がおられるなら、その後に答えた方が、会見を設けることで『2度手間』にならないと思った」と答えた。会見が開かれても報道陣は2度手間とは思わずに、取材に行っただろうけれど。
蓮舫氏の横には、応援に入った小川淳也幹事長と、自身に近く党東京都連幹事長でもある手塚仁雄衆院議員が陣取った。蓮舫氏はどこか、党側に守られているようだった。質疑応答が行われたのは私鉄の駅改札近くの街頭で、周囲ではヤジのような内容を叫んでいる人もいた。記者会見のように、腰を据えて向き合うような雰囲気ではなかった。蓮舫氏が取材に応じた時間は約20分。質疑後、蓮舫氏は来た時と同じように車に乗り込み会場を後にした。
その数時間前、定例会見に臨んだ野田佳彦代表は、「生まれ変わったニュー蓮舫」というワードを口にした。野田氏も蓮舫氏に近い立場だ。野田氏の会見からの街頭演説と取材対応。ひとつのレールの上でものごとが流れたような、「説明した」という既成事実が演出されたような空気を感じたのも確かだ。
蓮舫氏は、国政再挑戦の判断への批判について「謙虚に受け止めるしかない」と述べ、1年前の「いったんピリオド」発言を念頭に「言葉を大切にしている政治家として、発信に思いが欠けていたが、当時は精神的に弱い状況にあった。これからの発信には気をつけようと思う」などと、釈明を続けた。一方、昨年の衆院選で与党が単独過半数に追い込まれたことについて「衆議院で野党が力をいただいて、なんかワクワクしちゃったんですね」と語り、その後、党側から声をかけられるようになったと語った。もし衆院の与野党勢力逆転がなかったら、今回の判断はあったのだろうか。環境が整えられたステージに、満を持して出ていく。そんな形だったのではないだろうかなど、考えてしまうことは、多い。
でも、やっぱり、蓮舫氏には国政への未練が残っていたようにも感じる。都知事選落選後の昨年7月12日、X(旧ツイッター)に、国会議員時代の「戦闘服」だった白いジャケットについて「たくさんリサイクルに出しちゃった。さあ、すっきり」と気分一新を告白していたが、今回、その白ジャケットはどうするのかと問われた蓮舫氏は「もったいない精神があって。断捨離するのに勇気がなくて、半分残していたんです」。再登板の機会に備えて、もし半分残していたとしたら…。国政再挑戦に向けた蓮舫氏の「本音」に、この時、接したようにも感じた。【中山知子】


