年明け。サイパンで、ヌードのグラビアとイメージビデオを撮影した。サイパンロケの最終日から、社長からAV出演の説得が始まった。社長たちの説得は半年以上続いたという。無理だと断っても「わがままだ」と怒られた。「AVに出たら、あなたがやりたい音楽活動も面倒みる」「タワーマンションに住ませる」。打ち合わせが嫌になったが、「映画の話がある」「音楽界の大物に会わせる」と別の仕事の話で呼び出され、結局はAV出演の説得が続いた。

 大学時代には東日本大震災の被災地にボランティアに駆けつけた。「人をだましたりする人なんかいないと思っていた」。今思えば、そんな人柄にもつけ込まれていた。

 「私の中では、男性とからみのあるAVは遠い存在で、出演は無理です」。勇気を出してそう言っても「今は時代が変わっているのに、あなたは職業差別をしている。あなたはAV女優さんはみんなゴミだとでも思ってんの?」とたたみかけられたという。「出演している女優さんの人権を考えると、AVに出たくないと思っている自分もいけないんじゃないかと思ってしまった」。

 それでも、自分の中ではAVには出たくなかった。説得を受けながら「私がやりたいのは音楽なのに、なんでヌードになって、今度はAVに出ることになってしまっているんだろう?」。自分の意志と違う展開がどんどん進み、どうしようもなく、悔しくて涙が出た。事務所で十数人の男性に取り囲まれ、説得を受けたこともあったという。

 実際、音楽界の有名人に会わせてもらったこともある。「本当に芸能界に影響力がある事務所なのかも」と思った。恥ずかしくて誰にも相談できず、毎晩泣きながら書く日記だけが「相談相手」だった。そんな日々を過ごすうち、次第に「1%でも信じてみよう」と思うようになっていた。「出たら音楽できますね。絶対、信用できますね」。念を押し、最後の最後に承諾すると、すぐに撮影の段取りが進んでいった。