プロ野球オリックスとDeNAで活躍し、昨季限りで引退した赤間謙さん(30)が、復興の一翼を担うために故郷の福島県楢葉町に戻って新たな挑戦を開始した。東京電力福島第1原発事故の甚大な被害を受けた楢葉町のスポーツ協会へ、今年1月に入社。施設管理や普及活動だけでなく、県内外からのスポーツ合宿誘致や、将来的な「赤間杯」開催で、少しずつ住環境がよみがえりつつある町を活気づける夢も描く。

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赤間さんの第2の人生拠点は、小中学生時代に何度もプレーした、ならはスタジアムを含む総合グラウンドだ。オリックス時代の17年5月7日に初勝利も挙げた、楢葉町唯一のプロ経験者。昨季の引退決断後は球団職員の打診も受けたが「生まれ育って、大切な友人も場所もある大好きな町。今まで支えていただいた感謝の気持ちを、自分のスポーツ経験を生かして地元に恩返しできたら良いと思った」。1月18日に入社後、早くも地元少年野球やイベントに引っ張りだこだ。

東海大2年の春季沖縄合宿の練習中、マネジャーから大地震発生は伝えられたが、最初は事態を把握できなかった。「これはヤバイと思ったのはテレビで見た津波や火事の映像。次の日に両親とは連絡が付きましたが、放射線と言われても正直、ピンと来なかった」。警戒区域となった楢葉町は翌12日、県沿岸最南部のいわき市へ全町避難を開始。半壊した実家の家族も同様。県内外の各地に避難する人もいた。15年に避難指示が解除されるまで、町から人の姿は消えた。

15年以降は左官業を営む父が楢葉町に戻ったこともあり、オフ期間に帰省することはあった。今も父以外は千葉県に移住中だ。楢葉町の居住人口は震災前の約6割。中学以下の子どもは約300人まで激減している。「きれいなグラウンドや体育館、近くには温泉や宿泊施設もある。子どもから大人まで、野球に限らず、いろいろなスポーツのキャンプ地として全国から楢葉町に来てもらえる営業活動をしていきます。プロの試合も誘致したい」。さらに「赤間杯などを開催して、子どもたちに将来の夢を持つきっかけにしてほしい」と新たな取り組みも着手する。

大学の先輩の巨人菅野智之投手には「悔しい思いはあるだろうけれど、あとはオレたちに任せろ」。プロ入り当時からお世話になった日本ハム金子弌大投手からも「お前なら大丈夫」と背中を押された。2人が日本代表として出場する可能性もある東京五輪の野球は福島県で開催。「震災から10年。そこに自分が携われることにも縁がある」。スポーツ界でプロ、五輪選手を楢葉から育てるシンボルとなる。【鎌田直秀】

○…楢葉町スポーツ協会の坂本貴志事務局長(48)もフル回転を期待した。「小さい町なので、みんな赤間くんが帰ってきたことを知っている。トイレ掃除なども嫌がらずにやってくれますし、気配り、目配りのできる男」と高評価。コーチを務めるクラブチームのオールいわきクラブでも「選手としての活躍も、まだまだ期待してほしい」と“現役”続行でエースの役割も託した。

◆赤間謙(あかま・けん)1990年(平2)11月14日生まれ、福島県楢葉町出身。小1時に楢葉イーグルファイターズで野球を始め、楢葉中では相双中央シニアでプレー。東海大山形では3年春の地区大会寒河江工戦でノーヒットノーラン達成。甲子園出場はなし。東海大では全日本大学選手権と明治神宮大会準優勝に貢献。鷺宮製作所を経て、15年ドラフト9位でオリックス入団。17年5月7日の日本ハム戦で初勝利。18年7月にDeNAへトレード。通算38試合出場で1勝1敗1ホールド。右投げ右打ち。血液型AB。好きな楢葉町スポットは天神岬の温泉。