こんにちは。ドバイワールドカップデーから1週間以上経過しましたが、私はまだ帰国せずドバイに滞在しています。UAEダービーに出走したデルマソトガケとコンティノアールの2頭とともに、ケンタッキーダービーへ挑戦させていただけることになったからです。今回は2頭のケンタッキーダービー挑戦が決定するまでの舞台裏について、お話をしたいと思います。

実は2月のサウジ遠征が始まる前から、ケンタッキーダービーに挑戦できる可能性を信じ、事前にアメリカ遠征の準備を始めていました。私としては、準備が不十分な状態で急きょ参戦となるのが一番よくないことなので、途中でキャンセルをされても問題ないという気持ちで、周囲の協力を得ながら準備を進めていました。

2月のサウジカップデーの時点では、まだドバイで1戦残している状況だったので、まだケンタッキーダービーへの参戦は不確定な状況でした。しかしUAEダービーでデルマソトガケが圧勝し、直後に転戦が確定したので、事前の準備が実った形となりました。

そして3着だったコンティノアールは、レース結果から当初はケンタッキーダービー挑戦の夢はかなわないと思われ、直後から厩舎は帰国に向けて準備を始めていました。しかし一転、出走へ向けて急展開を迎えたのは、月曜日の朝でした。日本への帰国へ向けて荷物出しの準備をしている時に、他の馬の出走動向が変わったこと、またコンティノアールが日本で加算したポイントによってケンタッキーダービーに出走できそうという話が出てきました。

その時すでにに帰国のための荷物出しまであと1時間というギリギリの時間帯でした。タイムリミットが迫る中、大急ぎで各所との連絡を取ることとなりました。コンティノアールは、オーナーと矢作調教師から「ケンタッキーダービーに確実に出走できるのであれば転戦する」という条件を聞いていたので、このタイミングで現地主催者からの承認を得ることが必要でした。ドバイとアメリカに時差がある中、必死にやりとりを行い、ギリギリ10分前になんとか了承が得られ、無事出走へ向けて動きだすことができました。

私自身、日本馬の海外レース出走に向けた準備はたくさん経験してきましたが、ここまで映画さながらのドタバタ劇になるのは初めてでした(笑い)。そんな中、私と矢作調教師とのやりとりや、オーナーと矢作調教師のやりとりがスムーズに進み、何とか出走にこぎつけたことは本当にうれしかったです。

ご存じの方も多いと思いますが、ケンタッキーダービーはアメリカで「スポーツ界で最も偉大な2分間」と言われるほど、名誉あるレースです。私を含めホースマンであれば誰しもが憧れる素晴らしいレースに、日本の代表として参戦できるのはとてもうれしく、また日本競馬の発展を実感し感慨深い気持ちです。

一昨年のブリーダーズカップの時のように、出走するからには勝利を目指し、日本競馬に新たな歴史を刻めるよう、厩舎の皆さんと2頭の馬をサポートして行きたいと思います。

というわけで、来週のコラムはケンタッキーからお送りします! お楽しみに!

(レースホースコーディネーター)

デルマソトガケとその関係者
デルマソトガケとその関係者
調教を終えた2頭
調教を終えた2頭