あの激闘の秘話が今、明かされる-。歴史的一戦の裏側に迫る新連載「G1ヒストリア」がスタートする。

第1回は、追い込みの短距離王デュランダルがG1初制覇を果たした03年スプリンターズS。今やJRA・G1・27勝の名手となった鞍上・池添謙一騎手(43)だが、当時はまだ6年目。ターニングポイントとなった大一番だった。

03年、スプリンターズSをデュランダルで制した池添騎手
03年、スプリンターズSをデュランダルで制した池添騎手

JRA・G1・27勝の池添騎手には、20年近く食べ続けてきた「勝負メシ」がある。G1前夜のカツだ。その始まりが03年スプリンターズS。前日の阪神で未勝利に終わり、移動中の空港で夕食に選んだのがカツ丼だった。「たまたまです」という思いつきから、翌日の大一番で“勝つ”ための験を担いだ。

その箸を動かす指には、3週前に感じたかつてない手応えが残っていた。セントウルSで初めてまたがったデュランダル。デビュー6年目の24歳は、すさまじい瞬発力に驚かされた。

2003年10月、デュランダル(右)はゴール前、ビリーヴを急襲し鼻差でスプリンターズSを制した
2003年10月、デュランダル(右)はゴール前、ビリーヴを急襲し鼻差でスプリンターズSを制した

「追い出した時に体が(加速に)ついていかなかった。あれだけ反応の速さとパワーがある追い込み馬に乗ったことがなくて」

差し届かず3着に敗れ、同週のオープン特別へ向かう選択肢もあった。そんな中、管理する坂口正大調教師へG1挑戦を直訴。願いはかなえられた。自身のG1制覇はまだ前年の桜花賞だけで、実は中山芝1200メートル戦すら未経験だった。

「返し馬が終わってから(レースまで)どこで待つかも分からなかったぐらいですけど追い込み馬なので深いことは考えてなかったです。内を突いて馬群を縫うタイプではなくて、絶対に外へ出さないと伸びてこない馬だったので」

験担ぎも終え、やるべきことをシンプルに遂行した。発馬で最後方になっても慌てない。4コーナーで大外へ導き、直線を向いて手綱をしごく。その豪脚を信じて。勝負服と同じ黄色と黒のメンコは矢のように伸び、先頭にいたビリーヴの安藤勝己騎手は驚いたように左を向いた。その差は約15センチ。100%の確信はなくても、興奮のあまり馬上で左腕を振り回していた。

「僕をメジャーにしてくれた馬。追い込みは『落ち着いて乗ればいい』『鼻差だけ出ればいい』と教えてもらいました」

今も感謝する「競馬の先生」の教えは、輝かしい騎手人生を支えてきた。今年も夏が終わり、またG1シーズンが始まる。たとえ重圧に胃を締めつけられても、土曜の夜になれば迷いは消える。そう、カツしかないのだから。【太田尚樹】

◆デュランダル 1999年5月25日、社台ファーム(北海道千歳市)生産。父サンデーサイレンス、母サワヤカプリンセス(ノーザンテースト)。牡、栗毛。馬主は吉田照哉氏。栗東・坂口正大厩舎。通算成績18戦8勝(うち海外1戦0勝)、重賞勝利はすべてG1で03年スプリンターズS、03、04年マイルCSの3勝。03、04年JRA賞最優秀短距離馬。種牡馬としては11年オークス馬エリンコートなどを出した。13年7月7日に14歳で急死した。