歴史的一戦の裏側に迫る「G1ヒストリア」は、06年に朝日杯FSを制したドリームジャーニーをピックアップする。ステイゴールド産駒にとってのJRA・G1初制覇は、当時開業3年目だった池江泰寿調教師(54)にとっても、重賞&G1初勝利になった。名トレーナーの道へ、師の背中を押した名馬だった。
JRA・G1・22勝の名門、池江厩舎の旅路はここから始まった。06年12月、G1挑戦9頭目のドリームジャーニーで夢がかなった。
レース前半は最後方でじっくりと脚をためた。3コーナー過ぎで外から徐々に位置を上げると、直線で末脚が爆発。“飛んだ”ような鮮やか過ぎる豪脚は、人々にディープインパクトの走りをほうふつさせた。
開業3年目の池江師は、重賞初勝利をG1で飾った。「すごい追い込みだった。自分としては、早く重賞を勝ちたいと焦っている時期だったね」と振り返る。1つのG1タイトルは厩舎に心の余裕を生むものであっただろう。
ドリームジャーニーは、父がステイゴールド、母の父はメジロマックイーン。池江師が調教助手として所属していた父泰郎厩舎ゆかりの血統だ。「ステイゴールドはスラッとしていた体形だったけど、ドリームジャーニーは体高が低くて、筋肉の幅がある感じ」。体は違ったタイプだったが、高い能力と気性の激しさはしっかりと受け継いだ。「基本的に激しい性格だった。ステイゴールドより、ドリームジャーニーの方が激しかったんじゃないかな」と師は回想する。
3歳クラシックでは結果を残せなかったが、5歳時の09年には宝塚記念、有馬記念の春秋グランプリを制した。現役ラストイヤーの11年には、師が管理していた全弟オルフェーヴルが3冠馬に輝く。それは“兄貴”がいたからこその偉業達成だった。
「ドリームジャーニーに学んだことが多かったですね。自分もスタッフも。ある程度、自信がつきましたし。ドリームジャーニーには申し訳ないこともしました。でも、ドリームジャーニーがいたから、オルフェーヴルが3冠を取れたと思っています」
池江親子、ステイゴールド親子、そして、ドリームジャーニー兄弟-。人馬がつむぐ血の歴史は永遠につながり続ける。【下村琴葉】
◆ドリームジャーニー 2004年2月24日、北海道白老町・社台C白老F生まれ。父ステイゴールド、母オリエンタルアート(母の父メジロマックイーン)。馬主は(有)サンデーレーシング。栗東・池江泰寿厩舎所属。通算成績は31戦9勝。G1勝利は06年朝日杯FS、09年宝塚記念、有馬記念の3勝。付加賞を含む総収得賞金は8億4797万3000円。