実はレース名も公募されていた-。師走の風物詩となった有馬記念が、今年で第70回を迎える。今回の「ケイバラプソディー~楽しい競馬~」では太田尚樹記者が、第1回にあたる56年の中山グランプリについて取材。馬券売上高世界一を極めたドリームレースのルーツに迫った。【取材協力=JRA、馬の博物館、中央競馬ピーアール・センター】

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“第1回有馬記念”にあたる56年中山グランプリのファン投票用紙には、以下のような記載がある。

「もっといい名前がありましたら、この投票用紙に御記入の上御提案ください」

知る人ぞ知る事実だが、当初はレース名まで公募された。名案が出なかったのか、改称までには至らなかったようだが、ファンに寄り添おうとした姿勢がうかがえる。ちなみに優秀案1等の賞金は5000円。国家公務員の初任給が1万円に満たなかった時代においては、なかなかの高額だ。

今年で第70回を迎える有馬記念。馬券売上高世界一を極め、今や師走の風物詩として定着した。節目の年に、あらためてJRAへ設立の経緯をたずねた。

「かつて中山競馬最大の呼び物といえば『中山大障害』でしたが、東京競馬場での春のクラシックと比べると、どうしても華やかさに欠けていたと考えられていたそうです。そこで、当時の理事長の有馬頼寧が、中山競馬場の新スタンド竣工を機に、暮れの中山競馬にも日本ダービーに匹敵するような大レースの創設を提唱し、その出走馬は、いわばプロ野球のオールスター戦のようにファン投票によって選出し、ファンがより一層競馬に親しみを感じられるレースにするという画期的なものでした」

有馬理事長自身は、戦前にプロ野球チーム東京セネタースのオーナーを務め、野球殿堂入りを果たした人物でもある。「日本競馬十年史」(65年刊行)によると「この企画は、ファン大衆に予想外の好評を博し、全国から1万600余通という多くの投票が集まった」という。レース結果はファン投票2位メイヂヒカリが1着、同1位キタノオーが2着だった。だが、直後の翌57年1月に有馬氏が急逝。その功績をたたえて同年からは有馬記念として開催され、今に至っている。

創設年に200万円だった1着賞金は5億円となり、ファン投票総数は685万票超まで増えた。もはや国民的行事となったドリームレース。偉大な功労者の“遺志”にも思いをはせ、今年も「有馬」を楽しみたい。

【有馬記念まとめ情報】連覇か新王者か 70回目のグランプリを制すのは?

第1回中山グランプリのファン投票用紙(馬の博物館所蔵)
第1回中山グランプリのファン投票用紙(馬の博物館所蔵)