ここに2枚の写真がある。1989年(平元)4月27日、本紙掲載のカットは、野武士野球の激しさを伝える。日刊スポーツ評論家の田村藤夫氏(60=日本ハム→ロッテ→ダイエー)は、80~90年代のパ・リーグの猛者としのぎを削ってきた。当時の荒々しいプレーの背景を振り返り、ルールが変わった現在の球界に求められる資質について考える。(以下敬称略)

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1989年4月27日付・日刊スポーツ紙面
1989年4月27日付・日刊スポーツ紙面

この試合は西武戦の7回。完全にアウトのタイミングだったが、二塁走者の清原が三塁を回り突っ込むのが見えた。当時、こうなるとホーム上での激突は避けられなかった。

まだブロックが許された時代。アウトのタイミングといっても、体当たりをかわしながらタッチするポジションは取れない。得点を防ぐためには完全にホームをブロックして体当たりに備えるしかなかった。外国人選手を筆頭に巨漢選手の力任せの激突は、当時の捕手にとって非常に危険なプレーだった。

まずホームをブロックし、ミットの中にあるボールをさらに右手でしっかり握り、こぼさないようにする。それが鉄則だった。走者との力勝負は避け、ぶつかったら衝撃を逃がすように後ろに倒れる。そういうイメージだった。

この場面、捕球から体当たりまで時間がなかった。タイミングはアウトも、右手でミットのボールを握れなかった。体当たりを受け、私は飛ばされた。その時にボールがミットからこぼれた。写真でも分かるように、清原の体は宙を飛びながら、ホームベース上を通過している。ベースに触れていない。こぼれたボールを拾い、ベンチからの「タッチ、タッチ!」の声に反応して清原にタッチしたが、判定はセーフ。0-1で敗れた。

いまだ記憶が鮮明なシーン。ここから考えさせられる点は多かった。

まず、現行ルールではコリジョン(衝突)があり、ブロックをしての体当たりはなくなった。ブロックをした瞬間にセーフになる。ホームベース上や二塁ベース上での衝突を回避するためのルールで、過激な衝突による負傷者を減らすことを目的にされている。

一般的には捕手を過度な激突から守るという印象が強いかもしれないが、当時を知る捕手の立場から言えば、実情はちょっと違っていた。

私たちの時代は、捕手は完全にホームをブロックしていることが多かった。つまり、セーフをブロックによってアウトにしていたということだ。際どいタイミングでは、捕手は走者が走り込むスペースをブロックで埋め、それでアウトになるケースもあった。

プロ野球ファンの印象としては、今回の写真のような派手な体当たりが記憶に残っているので、捕手の受難のような感想を抱いているかもしれない。

しかし、プレーしていた捕手としては、そもそも捕手のブロックからスタートした課題だった、ということは知っていただきたい。

前提として、すべては1点を争うための捕手のブロック、走者の体当たりであり、相手にケガを負わせようとしてやっていたことではない。その上で、ホームでのコリジョンについて考えてみた。(つづく)

田村藤夫氏
田村藤夫氏