コロナも落ち着き始めた6月下旬。3月に高校野球の指導から退いた若生正広氏(69)の姿は、仙台市泉区の根白石球場にあった。東北福祉仙台北リトルシニアの専用球場。中町方成監督(37)は東北(宮城)OBで若生氏の教え子だ。そこに、東北前監督の我妻敏氏(38)も駆け付けた。

3月下旬、家族が住む故郷仙台に戻ってから3度目の訪問。4月からは新型コロナウイルス感染予防と病気の療養も兼ね、自宅で過ごすことが多かった。「今は毎日、家でゆっくり過ごしているよ」。久しぶりに浴びる太陽の下、教え子たちに囲まれ、笑みがこぼれた。「お前、元気にしてたのか?」「高校のときは、よく怒ったよなぁ」「立派になったな」。和やかな会話に皆、笑顔があふれた。我妻氏は「肩の荷が下りたんでしょうか。言葉の節々が柔らかいんです」と温かい目で見つめた。これまでは、いかにして甲子園に出場するか、勝利するかという話に終始した。今は少年野球や自分の野球を何かに還元していきたいという話をする。「ひと区切りついたのかな、と感じますね」と恩師を思いやった。

しかし、ひとたびグラウンドに目を向けると目が変わる。「いいぞ、全力疾走をしているな」「カバリングがちょっと遅いな」と野球の魂が目覚める。初めてグラウンドに来たときにはスローイングに難のある選手に声をかけ、車いすのまま、手取り足取り指導した。「水が入ったコップを持ち、テークバックからリリースの瞬間まで、一滴もこぼさずに動かしてみせた。これには子供たちも興味津々。わかりやすく教えてくださいました」と中町監督。短い距離でキャッチボールの相手をし「こうやってスピンをかけたボールをしっかり投げるんだ」と実践。まだまだ指導力は衰えない。中町監督も「基本を丁寧に教えてくれる。これを機に、若生先生のすべてを学びとりたいです」と期待を膨らませる。

若生氏は「野球人生に悔いはない」と断言する。「もう体力的にもきついからね。やると本気になっちゃうからさ」。ただひとつ心残りがあるとすれば、最後に監督を務めた埼玉栄を甲子園に導けなかったこと。「なんで行けなかったのかな、という思いはあるよね」と寂しそうにつぶやき、こう続けた。「子供たちを連れていきたかったね。甲子園に行ったら、人間的に自信がつく。子供が成長できる場所。なかなか味わえないものだからね」。黄色靱帯(じんたい)骨化症、腰の骨折を押してもなお目指した甲子園は、最高の教育の場。それを肌で感じ、生涯をかけて子供たちとともに目指した。「これからは、頑張っている教え子たちを応援していきたいね」。糖尿病と肝臓がんの治療と闘いながら、教え子たちの活躍を励みに第2の人生を歩みはじめた。

今、若生氏にはやりたいことがある。「うちの女房に、今までずっと留守にしてつらい思いをさせてきたんよ。これから、2人で旅行にでも行きたいなと思っているんだよ」。最初の旅行先は、正子夫人の希望で奄美大島と決めている。(この項おわり)

【保坂淑子】