神奈川で注目された145キロ右腕の夏は、まだ終わっていなかった。県大会以来、2カ月ぶりに再会した向上・猿山広輝投手(3年)の体は、一回り大きくなっていた。「大会が終わってから、ケガをしない体にするために、たくさん食べたり、ウエートをしたりして10キロ増やしました」。エースとして甲子園を目指した今夏は、準々決勝・横浜戦で敗退。本来は先発も、腰痛の影響で3試合の中継ぎ登板にとどまり、完全燃焼はできなかった。現在の体重は86キロ。悔しさをトレーニングにぶつけている。

課題を克服し、何度も壁を乗り越えてきた。1年秋からベンチ入りも、当時の最速は130キロ台。横一線だった投手陣から抜け出すため、1年の冬に「自分しか投げられない変化球を投げたい」とナックルカーブの習得を決意した。元オリックスのディクソンを参考に、2年秋まで1年近くかけて磨き続けた。人さし指の立て方で落ち方を変化させるなど、カウント球としても勝負球としても操れるまでになった。直球の球速も練習に比例するようにアップ。1年間で10キロ以上伸びた。

技術だけでなく、メンタル面の強化にも励んだ。今春の県大会準々決勝、日大藤沢戦で喫したサヨナラ負けを機に、練習試合では塁が埋まった場面からの登板や、連続ストライクチャレンジを敢行。また電車では、「知らない人を観察して気持ちを考えると、いざバッターと対戦するときに少しの変化に気づける」と“人間観察”を日課に。登下校中の隙間時間も「野球がうまくなりたい」一心で、神経を研ぎ澄ました。

腰に違和感を覚えたのは今年5月だった。診察結果は腰椎分離症。野球選手には比較的多いケガだが、投げられない苦痛を味わうのは初めてだった。甲子園をかけたこの夏は、腰への負担を考慮してナックルカーブを封印。痛み止めの注射を打ってマウンドに上がった。5回戦の三浦学苑戦では5回1失点の好救援をみせたが、続く準々決勝・横浜戦は2回2失点。「勝てない相手ではなかった。自分が最初から投げられていれば…」と唇をかんだ。

この夏の自己採点は「30点」。思い描いていた結果とは、かけ離れていたかもしれない。それでも、反省を成長につなげるのが猿山だ。「今は先輩に連絡を取ったりして、上のレベルに必要なことを取り入れようと、いろいろやっています。このケガを自分の野球人生の中でプラスにしたい」。もう後悔はしたくない。次に目指す舞台は大学野球。そのマウンドを、真っすぐ見据えている。【勝部晃多】(この項おわり)

向上・猿山のナックルカーブの握り
向上・猿山のナックルカーブの握り