12年春のセンバツ。東日本大震災で甚大な被害を受けた石巻工(宮城)が21世紀枠で出場した。主将の阿部翔人は開会式で行った選手宣誓で「野球ができることの感謝」を訴えた。同校卒業後は日体大を経て、体育の非常勤講師として石巻高に赴任。今年4月から野球部のコーチを任されている。夏の第100回大会出場に向けて、毎日振るノックバットにさまざまな思いが込められていた。

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 6年前の春になる。現在23歳の阿部は、甲子園のお立ち台に立っていた。前日のリハーサルは体調不良で欠席。ぶっつけ本番で臨んだ選手宣誓では、堂々とした口ぶりで喝采を浴びた。

 阿部 足も震えることなく、緊張しないでできた。甲子園には魔物がいると言われるけど、僕には違った形で出てきてくれた。

 昨年に体育教師として石巻に戻ってきた。自身の経験を糧に生徒を指導している。被災地から甲子園に出場した阿部じゃなければ、教えられないことがある。

 阿部 甲子園に出て大役を果たして、それが自分への重圧となった時期もあった。でも自分にとって、選手宣誓は一生ついてくる。野球の指導を通じて、震災で感じたことを選手たちに教えていきたかった。それが自分の使命です。

 野球を当たり前にできる日常が奪われた。震災当時、石巻工の裏の河川が氾濫してグラウンドは水浸しになり、道具は全部流された。阿部の自宅も約2メートル浸水。1週間後にグラウンドの水ははけたが、泥の臭いが鼻を突いた。活動を再開するまで約1カ月を要した。

 阿部 野球以前に、生活とか当たり前のことを当たり前にできるという環境に、まず感謝しなきゃいけない。そして、野球ができることに対して、感謝の気持ちを忘れないようにしないと。野球は1人じゃできない。家族とか周りの支えがあってできること。うまくなる、うまくならないの前に、野球を通して人間力を磨いてほしい。

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 指導者になっても、目標はぶれない。聖地の土を踏んで、分かったことがある。だから甲子園を目指す。

 阿部 僕は甲子園を経験して、人生が変わった。第100回大会に限らず、目標は甲子園に出ること。高校野球って、目標に向かって仲間と1つになって取り組むのが大きい。

 夢は広がる。今年7月の教員採用試験を突破し、将来は母校の監督になる。

 阿部 僕は甲子園で校歌を歌えなかった。母校で校歌を歌えるように、もう1度甲子園に戻りたい。

 甲子園でプレーした興奮も、震災の忌まわしい記憶も風化させない。当時の思いは今でも、阿部の胸中に刻み込まれている。(敬称略)

【高橋洋平】

<石巻工・阿部主将の選手宣誓全文>

 宣誓。東日本大震災から1年。日本は復興の真っ最中です。被災された方々の中には、苦しくて心の整理がつかず、今も当時のことや亡くなられた方を忘れられず、悲しみに暮れている方がたくさんいます。人は誰でも、答えのない悲しみを受け入れることは、苦しくてつらいことです。しかし、日本が1つになり、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。だからこそ、日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔。見せましょう、日本の底力、絆を。我々、高校球児ができること。それは、全力で戦い抜き、最後まで諦めないことです。今、野球ができることに感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。石巻工主将・阿部翔人。

石巻高で体育講師を務める阿部翔人さん
石巻高で体育講師を務める阿部翔人さん