昨秋、ソフトバンク担当からアマチュア担当に替わった。大阪桐蔭や明徳義塾など親元を離れ、野球に打ち込む選手たちの姿を取材する機会に恵まれた。大阪桐蔭の3年生たちは、春の切符を持っていたが中止、夏もなくなり1度も甲子園でプレーする機会なく引退することになった。本人たちも保護者も指導者も、言葉にならないほどつらい思いをしているだろう。

記者は福岡市内の公立高校の野球部だった。背番号をもらえる実力はなく、最後の夏は応援団長だった。雨でぬかるんだグラウンドを大きなスポンジで必死に整備をしたのが、92年、3年生最後の試合だった。対戦相手の久留米工大付(現祐誠)には、現在ソフトバンクの佐久本昌広投手コーチがいた。沖縄から越境入学していた。「そんなこと早く教えてよ」と佐久本コーチは当時を思い出しながら笑った。23年後の15年から記者と取材対象として再び出会った。下手でも最後まで野球部を辞めなかったからこその出会いだと思っている。

中学まで軟式だったため、硬式でプレーできた高校時代は貴重な経験となった。同じように全国には高校でしか硬式球に触らない3年生部員も多くいるだろう。だからこそ、1日も早く部活が再開し、1日でも多く練習してボールを触ってほしい。甲子園が中止となっても、各都道府県が独自で3年生のために最後の舞台を用意しようとしている。ある県の高野連は「私も元球児ですから」と、何とかしようと動いている。

新型コロナウイルスのためにつらい思いを重ねてきた球児たち。無観客試合となっても、背番号をもらえなかった部員たち、3年生だけはスタンドで一緒にその瞬間を味わわせてほしい。【西日本アマチュア野球担当=石橋隆雄】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)

佐久本昌広1軍投手コーチ(2019年11月2日撮影)
佐久本昌広1軍投手コーチ(2019年11月2日撮影)