龍谷大平安が与えた決勝点は無情の押し出し死球だった。2-2で迎えた8回2死満塁で金子へのカウント2-2。「自信のある真っすぐで押そうと思いました」。エース小寺は後悔しないように、スライダーを要求する捕手の田島に首を振った。だが143キロの直球は打者の体を直撃した。

 先制されても5回に小寺の適時打で追いつき、再び勝ち越されても7回に生水の適時打で追いついた。諦めない粘りの野球は最後まで貫いた。原田英彦監督(58)は「ほんまによう追いついた。100勝の重圧に耐えて、これ以上ないです。ようやった。満足です」と涙目でナインを労った。

 春先、原田監督は頭を抱えていた。優しくおとなしい選手が多く、先頭に立つ選手が出てこない。「みんなA型とO型なんです」(笑い)。ナイン全員の血液型や星座を調べたり、何か糸口はないかと必死に探した。そして夏直前の6月末、腹をくくった。「ここからは一緒に戦おう」。自分が“キャプテン役”になり、選手の先頭に立って戦う覚悟を決めた。誰よりも声を出し、誰よりも力強いグータッチで選手を鼓舞し続け、戦国京都を制した。

 選手も奮い立った。初戦の鳥取城北戦は9回にサヨナラ勝ち。今年4月に亡くなった元広島の衣笠祥雄氏(享年71)に100回大会での甲子園100勝をささげ、2回戦の八戸学院光星戦は14得点で圧倒した。

 負けても、この夏のお決まりの掛け合いで締めた。「お前たち、最高だぜー!」「ウオーッ!」。原田監督は「本当に最高でしたよ、こいつら。しんどくても楽しかった」と声が震えた。主将松田の帽子のつばにある「繋」の文字で、原田監督とナインは結ばれていた。【磯綾乃】