サヨナラ、サヨナラときたら、どハデ勝ちでしょう。阪神が2アーチ10得点の猛攻で、7年ぶり開幕3連勝を飾った。決勝点は4回。福留孝介外野手(37)がバックスクリーン右に放り込んだ逆転2ランだ。今季1号はめでたい日米通算250号! 突き放した中日に最後は追い上げられてドキドキ…。和田監督じゃないけど「体もたんで~」。

 虎党の祈りを現実にした。4回、ゴメスの2ランで1点差として、なおも無死一塁。福留が中日先発八木の速球を打ち砕いた。打球は右中間フェンスぎりぎりに当たり、本人も1度は二塁で止まった。本塁打とわかると、大歓声を浴びながらゆっくりとベンチへ戻ってきた。

 「ゴメスが打ったので少し刺激を受けました。頼む届いてくれと思っていた」

 1回に3点を先制される劣勢の展開をはね返す、1号逆転2ラン。7年ぶりの開幕3連勝へ勢いをつけた1発は、同時に日米通算250号のメモリアル弾でもあった。

 「ホームラン打者ではないので狙っていませんけど開幕3連戦で記念の1本を打てたのはうれしい」

 太平洋を横断し、足かけ12年でたどり着いた節目の250号。中距離打者を自任する福留はアーチへのこだわりは強くない。だが、小学生のころに下したある決断がなければ、到達できなかったかもしれない。

 野球を始めたころ、福留は右打者だった。すでに鹿児島県大隅半島一帯では有名な少年だったが、あまりに右手の力が強すぎるため打球がことごとく左翼方向へ切れて、ファウルになっていた。小学4年生の時、両親らの勧めもあって左打ちに転向した。ここから“アーチ伝説”が始まった。

 ソフトボール少年団では4年生だったため全打席バントを命じられた。自宅に戻ると、たまったパワーを解放するかのように母郁代さんのトスを打った。最初はバランスがとれなかった左打ちはすぐ、自宅裏の竹やぶを越えるようになった。打球が切れなくなり、今も地元で語り継がれる特大アーチを連発した。

 「西原球場のフェンスを越え、国道まで飛んだ」

 「国道の向こうのすし店まで届いた」

 右打席では、そのパワーをもてあましたほどの“黄金の右手”が、250本塁打の礎にある。

 「昨日は投手があれだけ抑えてくれた。きょうは劣勢でもはね返していけばいいと思っていた。それがチームだし、お互いの信頼関係になる」

 最後に開幕3連勝をこう振り返った。投打が補い合う姿は、まさに今の猛虎の強さ。福留が6番でにらみをきかせる強力打線が目覚めれば、創設80周年イヤーの開幕ダッシュも現実のものになる。【鈴木忠平】

 ▼阪神の開幕3連勝は、08年に5連勝して以来7年ぶり9度目(2リーグ分立後)。セ・リーグがクライマックス・シリーズを導入した07年以降、開幕3連勝以上は延べ7チーム。このうち08年ヤクルト(開幕5連勝→5位)以外の6チームが3位以内に入り、CSに進出している。