栗山監督「航平と心中」開幕投手有原にマー超え期待

  • 午後2時21分にブルペンで開幕投手発表会見を行う日本ハム栗山監督(撮影・佐藤翔太)
  • 開幕投手に指名され囲み取材を受ける日本ハム有原(撮影・佐藤翔太)

航平よ、チームのために全てを出し切れ!日本ハム栗山英樹監督(58)が21日午後2時21分21秒に、春季キャンプ地の沖縄・名護のブルペンで、今季の開幕投手を有原航平投手(27)に託すと発表した。本人通達と発表のタイミングには、20勝超えの圧倒的な成績でチームを日本一に引っ張ってほしいという思いを込めた。17年以来2度目の大役となる有原も、開幕戦の3月20日西武戦(メットライフドーム)での必勝と監督の思いに応えることを誓った。

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時計の針が午後2時21分21秒を指した瞬間、栗山監督は口を開いた。「今年の開幕投手、有原航平投手で行きます」。21日に、時間まで「21」にこだわった裏には、さまざまな思いが込められていた。

1つ目は20勝を超える圧倒的な数字への期待だ。「久しぶりにウチのチームから20勝投手を出す」。球団では82年20勝の故工藤幹夫氏を最後に37年間、輩出していない。本人への通達、発表を20日ではなく21日にしたのは「20勝を目標にすると、そこに届かないことが多い。20勝は通過点であると伝えたかった」。昨季は初の最多勝となる15勝も、底知れないポテンシャルを持つのが有原。栗山監督も「行くだろ、25勝0敗」と13年のマー君(楽天田中)超えを求めた。

2つ目は、チームのために全てを出し尽くしてほしいという思い。2月21日は、1911年(明44)に文豪・夏目漱石が当時の文部省からの博士号授与を固辞した日にちなむ「漱石の日」。栗山監督は「(漱石が)肩書きは要りませんと断ったように、周りの仲間たちを喜ばせて優勝させてやるんだ、という思いを今、航平が持っている感じをオレは受けた」という。名誉ではなく、自らの使命を貫いた漱石のように、有原にもチームのために勝利を目指す、真っすぐな献身を期待した。

監督室で通達した際は、京セラの創業者・稲盛和夫氏の著書「心。」にメッセージを添え、渡した。「心の中、自分をコントロールする、支配することが一番難しいこと」と、精神面でのさらなる成長も期待した。日本航空再建などに尽力した稲森氏の誕生日は1932年(昭7)1月「21日」。尊敬する人物にもあやかるように「(今季は)航平と心中。有原航平がしっかりやらなければ優勝しないシーズン」と思いを託した。「他に選択肢はなかった」と心に決めていた大本命の右腕からは、3月20日に最高のアンサーを受け取る。【木下大輔】

<栗山監督の開幕投手発表のタイミング>

15年2月20日 高卒3年目の大谷が初の開幕投手に。背番号にちなみ、午前11時11分に直筆の手紙を渡して伝えた。この日は巨人長嶋茂雄終身名誉監督の79歳の誕生日で「平成のミスタープロ野球」になってほしいとの思いを込めた。

16年2月22日 2年連続で大谷を開幕投手に指名。午後2時22分22秒と「2」を並べて、投打“二刀流”完成の願いを込めた。

17年3月16日 初の大役に選んだ有原は、大卒「3」年目で背番号「16」。この日に生まれた偉人、渋沢栄一著「論語とそろばん」に、直筆メッセージを書き込み手渡した。

19年2月12日 1次キャンプ地の米アリゾナで現地時間12日12時12分に、開幕1&2戦目の先発投手を同時発表。開幕投手の上沢は、自身の誕生日2月6日付の手紙が挟まれた本を渡されていた。

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◆夏目漱石 なつめ・そうせき。1867年、江戸牛込(現在の東京都新宿区)生まれ。東大英文科卒業後、高等師範教師などを経て、1900年に渡英。帰国後、1905年に第1作「吾輩は猫である」を発表。「坊っちゃん」「こころ」などの名作を残す。1916年死去

◆漱石の日 1911年(明44)に夏目漱石が文部省からの博士号授与の通達を断った日。意思確認もない通達に怒った漱石は、同省宛ての手紙に「小生は今日までただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、是から先も矢張りただの夏目なにがしで暮らしたい希望を持っております」と書いた。権威主義を嫌う漱石の人柄を表すエピソードにちなんだ記念日