阪神の元内野手で、700試合連続フルイニング出場の記録を持つ三宅秀史氏が3日、心不全のため死去した。86歳。岡山県出身。近年は体調が思わしくなく、入退院を繰り返していた。5日に家族葬を行った。

1953年(昭28)に阪神入り。遊撃吉田義男との三遊間は、プロ野球史上最高コンビと語り継がれる。ケガにも強く、56年4月11日大洋(現DeNA)戦から連続試合出場、57年7月15日広島戦からはフルイニング試合連続出場を開始。「その日にしか来られないファンもいる。すべての試合に出るのが私の礼儀」と高いプロ意識を持ち、59年には巨人との天覧試合にも出場した。だが、62年9月6日の大洋戦前、キャッチボール中の小山正明投手の球が左目を直撃。連続試合出場は882で、フルイニング試合連続出場は700で止まってしまった。

視力は元に戻らず。翌年63年以降は出場機会も減少。67年限りで引退した。阪神金本知憲が04年8月1日の巨人戦で701試合連続フルイニング出場し、記録を更新した際には、甲子園を訪れて花束を手渡した。

 

◆三宅秀史(みやけ・ひでし)さん 1934年(昭9)4月5日生まれ、岡山県出身。内野手。66~67年の登録名は「伸和」。南海高から53年に阪神入団。吉田義男と三遊間を組み、名守備で知られた。700試合連続フルイニング出場はプロ野球3位。62年9月6日の試合前にキャッチボールの球を左目に受けて視力が下がり、記録は途絶えた。57年には三塁手としてセ・リーグのベストナイン。現役時代は176センチ、70キロ、右投げ右打ち。オールスター出場4回。68年から71年まで阪神コーチ。