プロ野球の壁は高い。高卒新人、特に打者にとっては世界ががらっと変わる。高校時代に通算55本塁打を放ったロッテのドラフト5位・西川僚祐外野手(19=東海大相模)も今、壁にぶつかる。

5月2日現在、イースタン・リーグで26打席13三振を喫している。特大の1号本塁打で素質を示しながら、厳しさをリアルタイムで感じている未来の主砲候補に、オンラインインタビューで現況を尋ねた。【金子真仁】

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西川が喫した13三振の内訳は空振りが8個、見逃しが5個だ。内角ぎりぎりへの直球に1球も手が出なかった3球三振もある。

「見逃し三振の時は、どうやって打ちに行こうか悩んでしまっている時なんで。空振り三振の時はまだ振っていけているので、いいイメージで入っていけてるんですけど、見逃しの時は全然、タイミングだったりバットの出方が、自分の中で合ってないなって感じている時だと思います」

高校生の140キロとプロの投手の140キロは球の質が違う-。よく言われる言葉を西川も口にした。今まさに、その違いを実体験している立場として、もう少し踏み込んでもらった。

「高校の時は、速い球でもこうやって打ったら前に飛ばせるっていうイメージができるんですけど、今はどうやってこのまっすぐを捉えていったらいい感じで打球が飛ぶのかなというイメージがあまりつかないというか…そんな感じですね。球が見えない訳ではないんですけど、このスピードをどうやったら引っ張れるかなと、まだつかめない感じです」

小学校時代は周囲の友人より頭2つ大きかった。千葉・佐倉シニアでプレーした中学時代、右打者ながら東京ドームや神宮球場の右翼スタンドまで放り込んだ逸話が知られる。東海大相模でも横浜スタジアムのバックスクリーン左まで運び、高校のグラウンドでは敷地外への130メートル超の豪快弾をかっ飛ばした。

それでも飛距離より、確実性や勝負強さを頑として己に求めてきた。高校時代に対戦した最強の投手には「奥川さん(=恭伸、現ヤクルト)と及川さん(=雅貴、現阪神)ですね」と挙げる。奥川からは2年時の練習試合で中越え二塁打を放ったが「詰まっていたので、木のバットならショートフライだったと思います」。悔しい記憶と感触ばかりが残る。

13三振を喫しながら、1号本塁打もマークした。4月8日の巨人戦(ジャイアンツ球場)で、左腕投手の直球を左中間へ高々と運んだ。「安心はしました」と言いながら、やはり大喜びには至らない。

「当たった感じは良かったですけど、何かをつかむ感じの本塁打ではなかったので。振ってる中で当たる…みたいな感じでした。1本が出て、このタイミングの取り方や振り方ならこれから対応できるかもしれない、という感じを得たホームランではなかったので」

福浦2軍ヘッドコーチともよく話す。「自分も感じていることを言ってくださるので。もう1度、1から作り直さないといけないとあらためて感じます」。タイミング、下半身の使い方、バットの出し方。「本当は変えたくないのが一番」と本音もこぼしつつ、課題に正面から向き合う。

マスク越しの表情も声色も前向きだ。高1の冬、東海大相模・門馬敬治監督に「西川君はどんな選手ですか?」と尋ねた。「とにかく明るい」と即答だった。今も「逆方向にもっと強い打球を打てるように。そこをもう1回戻さないと、結果も出ないんじゃないかなと思います」。今を受け止め、未来へつなげようとする言葉が自然と出る。

引っ張った方が打球は強く、安打になりやすい-。当然の欲に抗いながら、あらためてセンターから右を向き、成長を誓う。オンライン取材の直後の試合、左足の使い方が少し変わり、センターから右方向へ2本の安打が出た。引っ張らない打球も十分に強いことは、本人も知っている。

「あれが初めてですね、自分のを見たのは」

19年10月19日、高2秋の関東大会の駿台甲府(山梨)戦。初回に左翼フェンス直撃の弾丸ライナーを飛ばすと、6回には中前打を放った。投手をかすめそうな痛烈なライナーに、客席からは瞬時に悲鳴さえ上がった。球場設置のスピードガンが、西川のセンター返しに反応していた。「166キロ」と表示されていた-。