プロ20年目の西武栗山巧外野手(38)が通算2000安打を達成した。「6番DH」で先発出場。ノーヒットで迎えた9回1死走者なしでの第4打席で、楽天牧田の外角95キロのカーブを左前に運び、球団の生え抜き選手では初の偉業を決めた。NPBでは史上54人目の快挙となった。

達成後は源田壮亮内野手から記念ボードを、西武でともにプレーした楽天炭谷銀仁朗捕手と同期入団で同い年の中村剛也内野手から花束を受け取り、笑顔もみせた。

残り2本で迎えた前夜は、史上初となる誕生日の達成を逃していた。4回に貴重な犠飛で追加点を挙げ、無安打で迎えた9回に打線をつなぐ右前打。これで通算1999安打とし、王手をかけていた。4日の試合に向けて、栗山は「楽な気持ちでいきたいと思います。しっかり自分の仕事ができるように、自分なりに勝負をしっかりかけれるように、そこだけ意識して頑張ります」と話していた。

ドラフト4位で育英から02年に入団。04年9月24日近鉄戦(大阪ドーム)で1軍初出場と初安打をマークした。1本1本、安打を重ねていく中で酸いも甘いも味わったが、背筋が凍る経験も思い出す。若手時代のある夜、埼玉・所沢の旧若獅子寮で寝ていると、寒けがして目が覚めた。

薄暗い部屋の奥に人影が…。寝ぼけ眼をこすりながら凝視すると、そこには落ち武者がたたずんでいた。「霊感は特別あるわけではないんですが…」。

恐怖にさいなまれ同時に声を張り上げた。「ここじゃない。お前の居場所は。オレに寄ってくるんじゃない!」。消え入るように姿はなくなったという。当時1軍を目指す立場だっただけに「それだけ追い込まれていたんでしょうかね、1軍に上がりたくて」と今では笑い話にする。

そんな恐怖?体験をした若手時代から、黙々とバットを振り続ける姿は今も変わらない。スタンドには、両親と家族を招待していた。背番号1を背負い、チームの象徴ともいえる「ミスター・ライオンズ」。その歩みはまだまだ続く。

◆栗山巧(くりやま・たくみ)1983年(昭58)9月3日、兵庫県生まれ。育英から01年ドラフト4巡目で西武入団。04年9月24日近鉄戦でプロ初出場。07年からレギュラーに定着。08年はリーグ最多安打を放ち、チームの日本一に貢献。ベストナイン4度(08、10、11、20年)ゴールデングラブ賞1度(10年)。今季推定年俸1億7000万円。177センチ、85キロ。右投げ左打ち。

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