ロッテがレオネス・マーティン外野手(33)の今季25号決勝3ランで首位に再浮上した。これがちょうど、球団通算8000本目の本塁打になった。

第1号は約71年半前、1950年3月11日に、兵庫・西宮球場の西鉄戦で、戸倉勝城選手が放った。

同氏の三男・戸倉恒城さん(71=兵庫・宝塚市)は、球団第1号の3カ月後に生を受けた。翌年に阪急に移籍になったが、父はその後、東京オリオンズ時代に監督も務めており、当時のことはよく覚えている。

「父がオリオンズで監督をしていた時は、とにかく打てなかったね。榎本選手に1、3番を打ってほしいのに、4番を打たせとったからね。でも父が監督を辞めてから、アルトマンが入ってきよった。家族みんなで『オヤジの時にとってくれよ』と(笑い)。阪急でも辞めた後にスペンサーやウインディが入ってきよった」

メモリアルが近づき、誰が8000号を打つか-。恒城さんは「実は荻野君の大ファンやねん」と笑い、予想していた。かつて、荻野の親戚と職場が同じだったことがあるという。「『僕の親戚がプロ目指して頑張っているんです』って言うから『そんなんやめとけ。本当に大変な世界だから』って」と当時を懐かしそうに振り返った。8000号は荻野と仲良しで、父の時代には縁がなかった強力助っ人のマーティン。しかも、宝塚の自宅からも近い神戸で節目が達成。時代を越えて続く、ロッテとの不思議な縁を喜んでいた。【中野椋、金子真仁】