今季限りでの現役引退を決めた阪神中田賢一投手(39)が29日、兵庫・西宮市内のホテルで引退会見を行った。

「(母涼子さんに)墓前に、おやじにも(引退を)言っておいてと伝えて。本当に小学生の時から、二人三脚でやってきましたんで…、天国で喜んでくれているんじゃないかなと思います」。プロ3年目の07年に肝臓がんで亡くなった父治英さん(享年56)の姿を思い浮かべ、号泣した。小学生の時にソフトボールを始め、チームの監督が父だった。

阪神での2年間は未勝利。今季は1軍登板もなかった。「結果を出せずに申し訳ない」。春季キャンプで左ふくらはぎの肉離れを発症し、出遅れた。「背中の張りが取れず、右肩も悪くなって、自分の思うようにいかなかった」。体がボロボロになっても、39歳は練習で手を抜かなかった。2軍では13試合、4勝3敗と最後まで先発の一角として投げ続けた。

中日、ソフトバンクで通算100勝を挙げ、計6度のリーグ優勝、6度の日本一に貢献。「暴れ馬」の異名は中日時代に落合監督から命名された。「スタイルを変えずに強い真っすぐを投げていきなさいと監督から言われた。自分の中では好きな言葉」。球は強いが制球が乱れることも多かった。「走者をためてハラハラドキドキさせるタイプの投手だったので、ファンのみなさまにこの場を借りておわびしたい」とユーモアたっぷりにファンに感謝を伝えた。

妻のフリーアナウンサー角野友紀(34)に最初に引退を伝えると「普通に明るく、お疲れさまと言ってもらいました」とねぎらわれたという。今後は未定で、引退試合やセレモニーは辞退。100勝右腕は完全燃焼でマウンドを去った。【石橋隆雄】

〇…中田は鳴尾浜でのソフトバンク3軍との練習試合の前に、ブルペンで投げ納めした。「最後1人で黙々と投げようかなと思っていたんですけど、みんな見守ってくれて」。約30球を投げ終えると、見守っていた桑原、岩田稔、チェン、エドワーズ、安藤投手コーチが拍手。中田はひとりひとりと握手をした。24日の2軍オリックス戦(甲子園)で先発し3回2/3、54球、4安打、3失点。「そこで最後までやれたなという思いはあった」と区切りをつけた。