野球評論家の江川卓氏(66)は、作新学院(栃木)、東京6大学の法大時代から水島新司さんと親交が厚かった。17日、尽きぬ思い出とともに、感謝の言葉を口にして故人をしのんだ。

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先生との最初の出会いは、1973年(昭48)の甲子園出場のときでした。兵庫・芦屋の宿舎近くの公園で、雑誌の対談でお会いしました。当時「野球狂の詩」のファンだった私も、先生にお会いしたいと思い、お受けしたのです。「野球が大好きだ」という印象でした。知識も技術もよくご存じで、盛り上がったことを覚えています。

先生には、漫画を通して「野球の楽しさを多くの人に広めたい」という気持ちが常にあり、私ども野球人にはとてもありがたく、光栄でした。大学時代、よく吉祥寺のステーキハウスで捕手の袴田(英利)とともに先生と会食させていただいたのですが、ここでの雑談も「どうすれば、野球の面白さが伝わるか?」というものでした。あるときは、雑談の中から漫画のテーマが生まれたこともありました。

私は、ある審判から聞いた“珍プレー”を、先生に紹介しました。それは、「真上に近い角度で常識を覆す高い内野フライを打ち上げ、飛球が落下する前にダイヤモンドを1周して本塁に戻ってくれば、ホームイン!」というもの。これが、「ドカベン」坂田三吉の「通天閣打法」のヒントになったと、先生から聞きました。

また、プロ入り後に忘れられないのは、1984年(昭59)のオールスターでの「8連続三振」です。実は球宴の1週間くらい前に先生と食事した際、江夏豊さんの9連続三振の話になりました。私が「振り逃げも三振は三振ですよね」と言うと、「それなら、オールスターで10個の三振を取れることを証明するのも面白い」となって…。9個目の三振は、わざと振り逃げさせて奪って、次の打者で10個目を狙うというもので、このやりとりはとても鮮明に覚えています。

先生の発想力を実際に野球の楽しさにつなげられたかどうか、は分かりませんが、先生との野球談議は、まさに私の野球の原点になりました。無類のホークス・ファンである先生からは、「パ・リーグの球団から指名されたら入ってくれよ!」と、念を押されていました。

もし、パ・リーグに入っていたら、「あぶさん」に登場させていただけたでしょうか?