阪神岡田彰布監督(65)が18日、90歳で亡くなった中西太氏(日刊スポーツ評論家)の訃報を受け、中日戦(バンテリンドーム)での試合前に「突然やけど。11日やったらしいな。全然知らんかったけど」と故人を悼んだ。

岡田監督が新人時代の80年に打撃コーチとして中西氏から指導を受けた。当時のブレイザー監督は「いくら力があっても新人はすぐには使わない」と岡田監督本人に告げていた。そのシーズン途中にブレイザーは解任され中西氏が代行監督となり、新人王を獲得した。2年目は監督と選手という間柄でともにシーズンを戦った。

岡田監督は「いや、もう職人というかな。夜ネット張って庭で。スポンジボールで至近距離からティーをやるのが毎晩の日課やったかな」と米国アリゾナキャンプでの思い出を話した。「本当にもう近くからポッとティーを上げるから(中西氏の)指先を何回かバットで打ったことあるわ」と、体を張っての熱血指導を受けた。「みんな打ってたと思うで。カケ(掛布)さんも真弓さんも」と、のちの85年日本一メンバーの基礎を中西氏がつくった。

岡田監督が現役最終年の95年にはオリックスで選手とコーチとして再び一緒になった。「その時は軽い、600グラムくらいの細いバットつくってな。それで若いやつに打撃を教えとったよ」と話した。岡田監督第1次政権04年の秋季キャンプでは当時71歳の中西氏が臨時コーチとして鳥谷、赤星らに熱血指導した。