懐かしの“故郷”に戻ってきた。日本ハム田中正義投手(28)はDeNA戦前、横浜の青空の下、笑顔で練習に臨んでいた。

プロ入り7年目で初のハマスタ。「年2、3回は野球を見に行ってましたね」と少年時代の思い出を話してくれた。実家のある鶴見駅から横浜スタジアム最寄りの関内駅までJRで約15分。父淳さんと電車に乗り、何度も足を運んだ。「ドーム球場と違い開放的な感じでした」。横浜出身の正義少年にとって、最も慣れ親しんだ球場だった。

当然、一番身近な球団はベイスターズ。印象に残っている選手は「石井琢朗さん。パワプロでもよく使っていた。左打ちで足も速くてミートの数値も高くて。打ちやすかったんです」。ゲームでは俊足巧打の石井選手を駆使し、6歳上の兄に挑んでいた。

創価大4年の秋、自身の大学野球が幕を閉じたのもこの球場だった。5球団競合の末、ソフトバンク1位指名された直後の16年10月31日。関東地区大学野球選手権準々決勝の桜美林大戦に先発し、佐々木千(ロッテ)と投げ合うも、公式戦初被弾するなど、4回6安打4失点でKOされた。

それから2416日。当時を振り返り「全国に行くのが当たり前と思っていたので、チームに本当に申し訳ないという思いでした。この後はプロの試合しかない。そこで頑張るしかないと」。プロ入り後はケガに苦しみ6年間未勝利。新天地でチャンスをつかみ、北の守護神となって“里帰り”を果たした。【永野高輔】

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