阪神の川藤幸三OB会長(74)が、来季の24年限りで同職を勇退することが26日、分かった。兵庫県内で取材に応じ、本人が明かした。10年11月から就任し、14年目を迎える来季での退任を決断。後任は掛布雅之氏(68)が有力だ。現役時代には岡田彰布監督(66)とクリーンアップを組み、85年の日本一に貢献した。指揮官の長期政権が実現すれば、25年シーズンで再び強力タッグを組むことになる。

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虎が誇る名物OB会長が、来季24年シーズンをもって同職を退任することが明らかになった。川藤氏は「あともう1年だけやって(後任に)譲ろうかと。年寄りは静かに去ったらええんや」と言い切った。選手、OBとして長きにわたってチームを支えてきた男が、ついに世代交代を決断した。

OB会長として甲子園だけではなく、キャンプ地やシーズン中の遠征先にも足を運んだ。歯に衣(きぬ)着せぬ独特の言い回しの「川藤節」を連発し、愛情たっぷりの厳しい言葉で、虎ナインを叱咤(しった)激励し続けてきた。今季は18年ぶりのリーグ優勝、38年ぶりの日本一と節目の年となったが、「もう数年前から言っとるからな。『いつまでお前、何年もやらすんや』言うて」と明かした。

現役では阪神一筋19年。年俸が半額になっても「阪神で現役を続けたい」と直訴した浪花節スタイルから、「トラの春団治」の異名を持った。引退後は外野守備コーチ、総合コーチなどを歴任。その後、10年11月のOB会総会で前任の田淵幸一氏から同職を引き継ぎ、来季で14年目を迎えることが決まっていた。

後任はOBの掛布雅之氏が有力となっている。川藤氏は名前こそ明かさなかったが、「あるやつには『もう腹決めんかい!』言うとるからな」とすでにオファーを出しており、「返事待ちはせえへん。ワシはもう決めとるんや。ここまで待ったんだから、有無を言わさへん」と断言した。

掛布氏は現役時代に岡田監督とクリーンアップを組み、85年の日本一に大きく貢献した。88年の引退後は解説者を務め、13年オフに阪神GM付育成&打撃コーディネーター就任。16、17年には阪神の2軍監督を務めた。20~21年には「阪神の伝説を語る人」という意味が込められた「HANSHIN LEGEND TELLER」(ハンシン・レジェンド・テラー)に就任。退任後も解説者として近くで阪神を見守ってきた。名実ともに後任者として適任といえる。

仮に岡田阪神が3年目に突入し、掛布氏のOB会長就任が決まれば、25年シーズンで再びタッグを組む可能性もある。黄金期を支えた「ミスタータイガース」が、新たなポストでチームをバックアップする。

 

◆阪神タイガースOB会 1972年(昭47)開幕直前の3月12日に発足した。初代監督の森茂雄氏が「巨人にあって阪神にないのは残念」と創立に乗り出した。松木謙治郎、藤村富美男の両氏を初代の正副会長に選任。会が現場に圧力をかけるといった誤解を受けないよう、あくまで親睦団体としての設立だった。会長が陣中見舞いに行くことも多く、川藤会長もキャンプや自主トレへ再三にわたり足を運んできた。

 

◆川藤幸三(かわとう・こうぞう)1949年(昭24)7月5日生まれ、福井県出身。67年ドラフト9位で阪神入団。長らく代打の切り札として活躍し、代打本塁打通算11本は球団史上3位。86年のシーズン代打本塁打5本は同2位。通算771試合、211安打、16本塁打、108打点、打率2割3分6厘。右投げ右打ち。野球評論家としての活動に加え、タレントとしても根強い人気を誇る。

 

◆掛布雅之(かけふ・まさゆき)1955年(昭30)5月9日生まれ、千葉県出身。73年ドラフト6位で阪神入団。3年目の76年に三塁の定位置をつかむ。本塁打王3度、打点王1度。通算1625試合、1656安打、349本塁打(阪神史上最多)、1019打点、打率2割9分2厘。右投げ左打ち。引退後は野球評論家のほか、16年から2年間阪神の2軍監督を務めた。