日本ハム郡拓也捕手(25)と野村佑希内野手(23)が22日、北海道・室蘭の結婚式場「アールベルアンジェ室蘭」で行われたディナー&トークショーに参加し、両極端な高校時代を振り返った。

質問コーナーで女子高生の参加者から「私は野球部のマネジャーをしているんですけど、どういう言葉がけやサポートがあったら選手のためになるのか、お聞きしたいです」と問われた。

まずは東京の強豪、帝京OBの郡が「帝京はマネジャーいないんですよ」と切り出すと、すかさず埼玉の強豪・花咲徳栄OBの野村が「僕らは18人いました」と明かし、会場から一斉に「えーっ」と驚きの声が挙がった。

“0対18”という、思いがけない大差に、どよめきが収まらない中で野村は大所帯のマネジャー陣となった理由を説明。「僕らが優勝した次の年に、すごい来ちゃって」と野村が2年生4番として出場した17年夏の甲子園で花咲徳栄が初の全国制覇を果たすと、翌年にマネジャー希望者が激増したという。

当時はマネジャーから、どんなサポートを受けていたのかというと「僕の高校は大会前になったら、背番号入りのお守りをつくっていただいて、それをバッグに付けて試合に臨んでいたり、おにぎりをつくってもらったりとかしてもらって」と回想。野村の代のマネジャーは3人いたそうで「もちろん今でも同級生として仲良くさせてもらっていますし、マネジャーと言えども同じチームで3年間過ごすので、別に何かをしてもらうというより、マネジャーの仕事をしてもらうだけで、その人のためになりますし、一生懸命やってくれれば励みになるかなと思います」と質問に回答した。

郡は帝京時代を振り返って、マネジャー的な仕事は「1年生ですね、やるのが。道具のこととかも」と回想。もし、女子マネジャーがいたら、どんな声をかけられたいかと問われたが、「なんだろう…マネジャーがいたところにいなかったから、分からない…」と苦笑いだった。